「良心」であるオウンドメディアをどう「引き継ぐ」か
「オウンドメディアは“良心”なのかもね」
自身のやっているオウンドメディアを指してそう仰っていただいた方がいましたが、良心とはまた絶妙な表現だな、と思ったんです。
その絶妙さについては今月のこちらのコラムにも書いたのですが。
と、こういう空気感のある言葉だと思うのですが、その良心だと仰った方は、前には「オウンドメディアは唯一“ブレない” 場所かもしれない。経営もマーケティングも外部要因で、好むと好まざるに関わらずブレてしまうけど、そういう時の拠り所としてブレてはいけない場所」ということも仰っていて、まさに良心と同義のことかと思います。
そんなこともあり、最近改めて思うのは、オウンドメディアというのは、「必要に迫られて」「意志を持って」やるものということで、「外から提案されて」始めるものじゃないということです。当人の意志がなく始めても結局のところブレていき、良心からも離れていき、多くは必要とされなくなってしまうのだと思います。
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