異能を支える教育とは?① 「クリティカル・ビジネスパラダイム」を読んでの考察 #414
皆さんこんにちは。双子パパTakaoです。
山口周さんの本やnoteを読む度に、常識を疑い、ジブンの頭で考えることのインパクト、洞察がもたらす示唆の深さに頭をガツンと叩かれるような感覚になります。
今月読了した「クリティカル・ビジネスパラダイム」もとても刺激的な論考に溢れた本でした。
私は双子の父親であるとともに、大学教職員でもあるため、反抗という社会資源、クリティカルな人材を育成するために、親や高等教育機関に求められることはなんだろうか?という視点から考えを深める機会になりました。
読書からの学びを振り返り、社会を中長期で大きく変革するクリティカルな人材を育成するために、大学などの高等教育機関に求められることを考えたいと思います。
何回かに分けて整理していきますが、まずは教育機関を取り巻く環境について、既存の教育システムがグダグダすぎて、クリティカルな人材の受け皿は新しい学びの場にシフトしている状況を見ていきたいと思います。
クリティカル・ビジネスパラダイム
クリティカルビジネスは、従来のビジネスとは異なり、社会的に合意の取れていないアジェンダを設定し、果敢に切り込んで新たな価値を創造する試みです。
いくつか事例が紹介されておりますが、代表例はテスラやパタゴニアなどが挙げられます。
ガソリンエンジンへの不満などない時代に化石燃料に終止符を打つと宣言したテスラ、自然との共生を掲げるパタゴニアなど、既存の常識や価値観に対して批判的に向き合い新たなビジネスを創造した事業が結果的に大きな経済的な価値も創り出しています。
クリティカルビジネスの詳細は本書を読んでいただきたいのですが、私がもっとも感銘を受けたのは、「反抗というのは社会資源である」という指摘です。私の解釈としては、「常識を疑い反抗する人材こそ、新たな価値創造のためには不可欠な人材である」と腹落ちしました。
また、こうした反抗的人材がいることは、既存の体制にとっては秩序を壊す危険な存在になり得ますが、社会が進化していくためには、「常識を疑い、今の同時代の人からすると理解や共感が得られないことに関心を持ち、ジブンなりに試行錯誤できる人材こそ、社会にとっての宝である」との寛容で包摂的な視点がとても重要であると思います。
クリティカルな人材はそもそも大学に来るのか?
では、そもそもこうしたクリティカルな素養のある人材は大学に進学するのでしょうか?
また、仮に大学に進学したとしても、クリティカルな人材というのは、そもそも育成することができるのでしょうか?
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