【読書メモ】構造主義者としてのブルデュー:『ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月 (NHK100分de名著) 』(岸政彦著)
先日は、本書をハビトゥスというキーワードを中心に考えてみました。ざっくり言えば、ハビトゥスとは社会との相互作用によって構築される習慣や傾向性のことでした。今回は、ハビトゥスの優位性をめぐって人々が闘争状態を行う界というキーワードについて見ていきます。
嫌悪と闘争
ハビトゥスをめぐる闘争について理解するために、ここでも趣味を例にしましょう。たとえば野球観戦という趣味があるとします。阪神ファンは、巨人ファンに対して嫌悪の感情を持ち、両チームが戦う時にはファン同士も闘争状態に(少なくとも心理的には)なるものでしょう。巨人も阪神も興味ないや、という方は日本プロ野球を批判的に見てMLBを応援するファンかもしれません。
趣味を例にして、ハビトゥスが嫌悪の対象とセットになるという現象を見てみました。これが厄介なのは、自身のハビトゥスが否定されると、自分の人格が否定されたという感覚に陥ることです。趣味を巡る批判のし合いがエスカレートするのは、極端な例ではサッカーの試合をめぐる暴動を見ればイメージできるでしょう。
構造主義的な発想
社会における相互作用プロセスからハビトゥスを捉え、ひいては自分自身の人格というものを捉えるブルデューの発想は、構造主義的な発想があると著者はしています。
ブルデューの発想に従えば、趣味そのものはそれ自体において意味を持つことはありません。他の趣味との比較において意味が相対的に生じてきて、それをもって規定することが可能となります。趣味を例にして考えると、ブルデューの構造主義的なものの捉え方によって、ハビトゥスが構築され、自分自身の人格もまた構築される、ということがイメージできそうです。