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鷹原王(学校では教えてくれない日本古代史の教養マガジン)

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#古代

聖徳太子がバリバリ蘇我系のわけ

聖徳太子は蘇我系に生まれました。むかし当然OKとされていた、2020年の感覚からすればなんとなく「近親婚」をみながら、聖徳太子(厩戸王)の出自を見ていきましょう。 厩戸王の父上?用明天皇です。用明の両親はというと、欽明天皇と堅塩媛(姉)です。この堅塩媛とは、蘇我稲目の娘さんです。 厩戸王の母上は?穴穂部皇女です。穴穂部皇女というと、欽明天皇と小姉君(妹)との間に産まれた皇女です。この小姉君も、蘇我稲目の娘さんです。 厩戸王のお嫁さんは?刀自古郎女(とじこのいらつめ)です

【聖徳太子】イエスなのか?ブッダの生まれ変わり?

(穴穂部間人皇女の)懐妊開胎(みこあれま)さむとする日に、禁中(宮のうち)に巡察(おはしまして)して、諸司(つかさつかさ)を監察(み)たまふ。馬官に至りたまひて、乃ち厩の戸に当たりて、労(なや)みたまはずして忽(たちま)ちに産(あ)れませり。 →西暦574年、用明天皇の后である、皇后(穴穂部間人皇女)の出産予定日に、皇后陛下は各部署を巡察されていた。馬の部署に来られた時、馬屋の戸にあたられた拍子、厩戸皇子を難なく出産された。 仏教ではお釈迦様を出産の際、マーヤー夫人が、出

聖徳太子のなまえ何処に...

『日本書紀』から「聖徳太子」の他の名前を列挙してみた。ありまへーん。 586年一月厩戸皇子「ウマヤトノミコ」 586年一月豊耳聡聖徳「とよみみとしゃうとく」 586年一月豊聡耳法大王「とよとみみののりのおほきみ」 586年一月法主王「のりのうしのおほきみ」 586年一月是の皇子「このみこ」 593四月厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ) 593四月上宮厩戸豊聡太子「かみつみやのうまやとのとよとみみのひつぎのみこ」 594二月皇太子「ひつぎのみこ」 6

教科書に載らない古代の道路建設?(昔むかし)

推古二十一年(613)年十一月、難波より京に至る大道を置く →西暦613年12月、難波から京(飛鳥)に至る大きな道路を敷設した。 (↑画像の引用元) ルートの解説竹内街道のことと言われています。大阪と奈良の県境あたりでクネクネしています。そこが竹内峠です。現在の国道165号線166号線です。 道路の幅は20メートル道幅がひろい。20mあれば4車線?うんわからん。くらい行けそうな感じ。所々発掘された箇所から幅20mと推定されたみたいです。 今残ってないぞ今、そのままの