聖徳太子がバリバリ蘇我系のわけ
聖徳太子は蘇我系に生まれました。むかし当然OKとされていた、2020年の感覚からすればなんとなく「近親婚」をみながら、聖徳太子(厩戸王)の出自を見ていきましょう。
厩戸王の父上?
用明天皇です。用明の両親はというと、欽明天皇と堅塩媛(姉)です。この堅塩媛とは、蘇我稲目の娘さんです。
厩戸王の母上は?
穴穂部皇女です。穴穂部皇女というと、欽明天皇と小姉君(妹)との間に産まれた皇女です。この小姉君も、蘇我稲目の娘さんです。
厩戸王のお嫁さんは?
刀自古郎女(とじこのいらつめ)です。刀自古郎女というと、蘇我馬子の娘です。ちなみに、この娘さんの兄が蘇我蝦夷です。厩戸王自身は合計5人も妃を娶っています。そのうちの1人です。
なぜ蘇我はそこまで娘を嫁がせる?
政治権力の掌握です。案件の判断については、天皇が最終判断は行っていますが、実行役となるのは、最有力者です。蘇我氏は天皇と親戚関係で信頼がおけるということで、なんでも任してもらえるようになるのです。政治権力の掌握です。彼の判断次第でも政治を大いに動かせることができます。
婚約システムはどうなっていたのか?
父方が同じでも、母方が違えば、結婚可能だった。当時の婚約システムです。そんなに近親の者で固めていいのかと思ってしまいます。聖徳太子の両親は、ともに兄妹です。しかし、実の兄妹(同父同母)ではなく、母違いの兄妹(同父異母)です。母方さえ違えば婚約可能だったのです。思えばかなり近親婚と思ってしまいます。
まとめ
今の我々が近親婚と聞くとギョッとしてしまいますが、むかしはそれがOKだった。何せ、今よりももっともっと赤子が産まれた後の致死率が高かった時代です。父系をつぐということは、家をつぐということ。次の世代に有力者たちは自分たちの血筋を残していかなくてはいけません。後継がいなくなれば大変なことになってしまいます。後継を絶やさないようにしなくてはならない。だから、母が違えば結婚可能という仕組みが出来上がったのです。歴史を見ていると、常識がもはや常識とは思えなくなりますね。
参考文献
吉村武彦,『聖徳太子』,岩波文庫,2002
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