【聖徳太子】イエスなのか?ブッダの生まれ変わり?
(穴穂部間人皇女の)懐妊開胎(みこあれま)さむとする日に、禁中(宮のうち)に巡察(おはしまして)して、諸司(つかさつかさ)を監察(み)たまふ。馬官に至りたまひて、乃ち厩の戸に当たりて、労(なや)みたまはずして忽(たちま)ちに産(あ)れませり。
→西暦574年、用明天皇の后である、皇后(穴穂部間人皇女)の出産予定日に、皇后陛下は各部署を巡察されていた。馬の部署に来られた時、馬屋の戸にあたられた拍子、厩戸皇子を難なく出産された。
仏教では
お釈迦様を出産の際、マーヤー夫人が、出産に備えて実家に向かう途中立ち寄ったルンソビーという場所の、アショーカの樹の枝に右手をかけた時。右脇から赤ん坊が産まれたと伝説的な描写で語られています。ちなみに、右脇から産まれたというのは、クシャトリヤ階層に産まれたことをあらわしています。
ルンソビーにあったアショーカの樹の枝に右手をかけた時
気になりますね。出産は実家でなされるべきなのに、いきなり産まれちゃうんですから、現場は大変だったでしょうね。
キリスト教では、
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカによる福音書)
ちなみに、この場には馬ではなく牛とロバがいます。多くで、馬小屋と言うよりも家畜小屋といった方が表現が近いといわれています。
家畜小屋にて
となります。後、マリアが処女であることを強調しています。アラブ地域の価値観なんでしょうね。定かでないです。
仏教に近い?
なんとなくそんな感じがします。「手をかけた」「厩戸の戸にあたる」なんか似てます。キリスト教の方では、馬小屋と描かれることも多いので、馬小屋という点ではキリスト教側に似ている感じがします。合わせたのでしょうか?それとも片方だけに頼ったのでしょうか?いや、聖徳太子の記述は事実そのものだとするのでしょうか?日本的に伝説化したのでしょうか?
さてどう信じますか?
中国にはネストリウス派キリスト教も入ってきているので、イエスの降誕をモチーフにした可能性もあります。
なんかわかんなくなってきた。
ぜひ考えてみましょう。
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