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鷹原王(学校では教えてくれない日本古代史の教養マガジン)

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#飛鳥時代

まだ神格化されていない

厩戸王はまだ大したことなかった?厩戸王は仏教興隆の開祖ほどの神格化される人物になっていきます。しかし、645年の段階でまだ歴史上の人物ほど威厳はなかったことがわかる記述がありました。 645年「大化の僧尼詔」欽明天皇十三年に百済聖明王が仏法伝来と蘇我稲目を支援したこと。 敏達天皇の時代、蘇我馬子が仏法を信奉したこと。 推古天皇の時代、蘇我馬子が仏像を作らせ、僧尼が恭敬したこと。 ないですねえ厩戸王について720年完成の『日本書紀』でもまあまあ称賛していたのに、ここに来

私が古代史を研究する理由(葬儀の風習から)

多種多様な価値観が混ざり合っています。 古代史を研究することで、今の自分と今の世界をもっと客観的に見ることができるようになります。どの思想や風習が、いつのどこから来た価値観なのか、ハッキリとわかるようになります。もちろん、観光に役立ちます笑。 私のいう古代史とは主に紀元前から700年あたりを指しています。 殯りという風習からそのむかし、殯宮(もがりのみや)というものを建設していました。遺体を安置して殯りの儀式を行う仮設の建物のこと。死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を棺

聖徳太子がバリバリ蘇我系のわけ

聖徳太子は蘇我系に生まれました。むかし当然OKとされていた、2020年の感覚からすればなんとなく「近親婚」をみながら、聖徳太子(厩戸王)の出自を見ていきましょう。 厩戸王の父上?用明天皇です。用明の両親はというと、欽明天皇と堅塩媛(姉)です。この堅塩媛とは、蘇我稲目の娘さんです。 厩戸王の母上は?穴穂部皇女です。穴穂部皇女というと、欽明天皇と小姉君(妹)との間に産まれた皇女です。この小姉君も、蘇我稲目の娘さんです。 厩戸王のお嫁さんは?刀自古郎女(とじこのいらつめ)です

【聖徳太子】イエスなのか?ブッダの生まれ変わり?

(穴穂部間人皇女の)懐妊開胎(みこあれま)さむとする日に、禁中(宮のうち)に巡察(おはしまして)して、諸司(つかさつかさ)を監察(み)たまふ。馬官に至りたまひて、乃ち厩の戸に当たりて、労(なや)みたまはずして忽(たちま)ちに産(あ)れませり。 →西暦574年、用明天皇の后である、皇后(穴穂部間人皇女)の出産予定日に、皇后陛下は各部署を巡察されていた。馬の部署に来られた時、馬屋の戸にあたられた拍子、厩戸皇子を難なく出産された。 仏教ではお釈迦様を出産の際、マーヤー夫人が、出

増えていた??冠位十二階?

かれこれ冠位?階になりました?。見やすくまとめました。 ⭕️604年、冠位十二階(推古天皇)1大徳・2小徳・3大仁・4小仁・5大礼・6小礼・7大信・8小信・9大義・10小義・11大智・12小智 ⭕️648年、七色の一十三階の冠(647年制定)(孝徳天皇)1大織・2小織・3大繍・4小繍・5大紫・6小紫・7大錦・8小錦・9大青・10小青・11大黒・12小黒・13建武 ⭕️649年、冠位十九階(孝徳天皇)1大織・2小織・3大繍・4小繍・5大紫・6小紫・7大花上・8大花下・9小

東の天子 人がちがう?

隋の煬帝に送った、有名なフレーズ。しかし、そこにはちがう名前が書かれていた。 学校の歴史教科書は『隋書』倭国伝から大業三年、其の王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者日く、『聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝貢せしめ、兼ねて沙門数十人、来りて仏法を学ぶ』と。其の国書に日く、『日出づる処の天子,書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々』と。帝之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて日く、『蛮夷の書、無礼なる者有らば、復た以て聞する勿れ』と →西暦607年、倭国の

存在した?ナゾ兄弟統治(倭国)

今の感覚では意味不明な、W君主制。 「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴き、跏坐して坐す。日出ずれば便ち理務を停め、我が弟に委ねんと云う」『随書』倭国伝 ↓現代語訳2種類「倭王は天を兄となし、日を弟とし、弟が不在であれば兄が政務を取るが、弟がいれば兄は弟に政務を委任する」p61『「日本書紀」千三百年の封印を解く』佐藤聡、郁朋社、2017 「倭王は天を兄とし、太陽を弟としている。夜がまだ明けないうちに、政殿に出て政治を行い、その間、あ

違和感を感じるポスト推古天皇

第33代推古天皇の後をついだのは、舒明天皇(第34代)でした。 一つの世代が完全にスキップされる違和感しかし、推古天皇から見ると舒明天皇は世代的には孫の世代になります。 甥の子です。子の代は完全にスキップです。 天皇の位の移り変わり 事の発端は誰かと言うと、欽明天皇です。 仏教伝来で有名ですよね。 欽明天皇は5人の子供を授かります。 欽明天皇(29代)ファミリー5人男3人、女2人です。 1人目が敏達天皇(30代)です。 2人目は用明天皇(31代)です。 3