盆踊りは、人を「大切にする」踊り?
東京では、夏になると毎日いくつもの場所で盆踊りが開かれていて、、
ということは、毎日どこかで誰かが盆踊りを楽しく踊り明かしているのでしょう。
それが、夏の終わりから秋に変わっていくと、夏祭りが秋祭りと名前が変わり、踊りの場の数も次第に減っていき、、
浴衣を着るには寒い季節がやってきて、気づいたら盆踊りの情報はパタリと無くなってしまうのです。
今年は盆踊り2年生でしたので、意識的にその移り変わりを感じ取ることができました。
皆でわいわいと過ごす場所が無くなっていくというのは、寂しさを感じずにはいられないですね。
人を歓迎する場所として
1000年脈々と変化しながらも続く盆踊りの形。
暦に合わせて、大衆に開かれる恒例行事として広く親しまれてきました。
娯楽の少ない時代の楽しみとして、先祖供養という人間に広く共通してある行動として、信仰の一部として、、
渦を巻き繰り返す群衆の踊り、そのエネルギーで、
毎年帰ってくる先祖の霊や身寄りのない霊までも、異形の生き物も全部ひっくるめて、一度歓迎してもてなして、満足させて円満に帰ってもらうような捉え方もあったり。
人だけではなく、色々な周辺のものたちや神霊たちが暴走しないように、鎮めるという考え方は、まるで仲良くしようというようにも見えます。
盆踊りとは少し違いますが、
江戸時代あたりには、全国各地から伊勢神宮などを訪問する、伊勢参り、おかげ参りが流行し、ええじゃないかという大衆の熱狂的な踊りも起こりました。
その時、身分によらず身分を隠し、皆が仮装をして仕事も放棄してカオス状態で乱舞していました。
かつての日本でも、踊りを前にすると、身分という厳密な区別もその線が少し薄れていたのかもしれません。
それは、現代にも通じているように思います。
知っている限りで、盆踊りは全ての人に開かれた状態で開催されています。
ほぼ入場料は取らず、いつでも自由に踊りの場に出入りができて、踊るのに資格や条件も必要ありません。
性別や年齢や住む場所や、信仰や社会的立場によって制限を受けることもなく、皆が同じ形で踊れるのです。
盆踊りの起源は、仏教の念仏からきているところも大きいですし、お寺やまた神社での開催も多いですが、異なる宗教を信仰する外国人観光客の方でも受け入れていますね。
多少羽目を外しても良い日だから、皆で食べて飲んで叫んで楽しもうというのが、盆踊りの人を歓迎するという良さなのだと感じています。
身体を大切にする、踊りの形
盆踊りを世界の踊りと比較することで、はじめて見えてくることがあります。
そのひとつに、、
盆踊りは、歴史的分類的に「静」の踊りだということ!
緩急の瞬発さではなく、動きを流すスタイル
跳躍ではなく、水平移動
身体の軸を倒さずずらさず、腰に据え置く
身体を外に広げる方向ではなく、捻り込む方向に
盆踊りで頻繁に見受けられる定番の動作を振り返ってみても、手は高い位置でよく動くけれど他は動きが少なくみえますね。
両足が地面から離れる瞬間があっても、垂直に高く上がるというよりは、深く踏みしめるための準備として膝を伸ばす程度です。
盆踊り大会で踊っていて、楽しくて休まず続けていたら、気づいたら1時間以上踊り続けていた!ということも、実は良くあることかもしれません。
盆踊りは身体への負担も最小限で、身体にうまく適応した踊りだと言えるでしょう。
一般によく踊られているダンスの場合、ジャンプの動作や開脚の動作がよく取り入れられていますが、動きを華やかに見せる反面、身体への負荷が特に大きいというデメリットも。
20代で体力的にも山を迎えるプロダンサーでさえ、こうした動作を繰り返すことで膝や腰などに怪我を負い、競技人生が断たれてしまうことは珍しくありません。
しかし、盆踊りの場合には、年齢に関わらず、踊りが原因で怪我や病気になったという経験話をほとんど聞きません。
(テンポの速い現代ポップスにダンス要素の強い振り付けで踊る盆踊りの場合は、怪我をしやすいかもしれません。締め付けの強い和装であれば尚更、動きの制限を受けるため、注意が必要ですね!)
怪我をしづらく、程よい運動負荷のため、健康増進に繋がりますし、シニアになってからも長く続けられる生涯スポーツになる可能性も秘めています。
美しさのある形を、無理なく表現できる振り付けは、普遍的で洗練されています。
まさに、身体に優しく、身体を大切にする踊りではないでしょうか!
愛の溢れる唄とともに
盆踊りに欠かせないものと言えば、、
やはり「盆踊り唄」ではないでしょうか?!
一番メジャーな存在である、地域ごとに歌い継がれている民謡曲。
オリンピックや万博など国際的イベント毎に生まれる唄や、子どものアニメキャラクターがテーマの音頭など、バリエーションも様々な踊りの唄が存在しています。
初めての音の記録媒体である、レコードが発明・普及する前から歌い継がれてきた歌も、中にはあるようです!
例えば、一番有名な盆踊り曲の一つ、炭坑節について。
これは、かつて九州筑豊の炭鉱労働者が労働作業中に仲間と歌った労働歌が、全国ラジオで放送されて広まったとされています。
因みに、全国には地域色の豊かな民謡や歌が無限大にありますが、レコード以前の社会での唄の広まり方には特徴があります。
それは、唄のメロディーはほぼ骨格が変わらずに伝わるけれど、唄の歌詞の方は狭い範囲でもすぐに変化しやすいということ。
確かに、経験的にもメロディーは口ずさめるけれど、歌詞はあやふやということは、よくありますよね!
炭坑節を歌っていた炭鉱夫も、営業でやってきた芸者の座敷歌などのメロディーに影響されたとも言われているのです。
こういったように、本当に様々な歌詞が存在していて、はたまた即興的な言葉に合わせて、盆踊りは踊られます。
そして、やはり一番多く語られ踊られるテーマのひとつが、男女の恋の物語なのではないでしょうか!
あの子かわいいな、あの方素敵ね、ですとか
好きになったわ、、といったストレートな恋の表現。
燃えるような感情や温かな感情を季節や何かのものに託して表現した、風情あふれる詩的表現。
現代においてはあまり意味を考えずに歌われていても、かつてはその卑猥さが風紀を乱すと取り締まられた歌詞の唄も少なくないでしょう。
盆踊りの唄はひとつの主張の場としても機能することがあり、中には政治を皮肉ったり、大衆の愚かさを嘆いたりすることもありますが、ただ批判するのではなくどこかに笑いの要素があったり愛情や情緒が感じられたりするものです。
いずれにしても、大衆が思わず熱狂してしまうような強い思いを乗せて唄われる唄は、やはり人々の人気を集め、長く歌い継がれているように思います。
キャラクターへの愛の詰まった歌詞、可愛らしいメロディー、異国文化・音楽への関心からその要素を上手く取り入れた盆踊り、故郷の人を大切に思い唄われる民謡など、、
盆踊りの唄だけを見てみても、様々な愛の形が見てとることができて、色んな好きで溢れていることでしょう!
盆踊りは「人を大切に」する踊りだった!
いくつかの視点から、盆踊りについて、人に寄り添った形であることを考えてみました。
その踊りの空間は、人を広く歓迎する場所であり、
その踊りのスタイルは、身体に調和する形につくられていて、
流れる唄も、愛情に満ちた、人を見つめるものである、、
盆踊りが1000年以上も長くつづいてきた理由には、この「人を大切にする」という本質も、ひとつにあるのではないかと考えています。
きっと他の視点から見ると、また違った盆踊りのポイントも見つけられるかもしれませんね!
この盆踊りの強みをさらに伸ばしていくことで、盆踊りを衰退させる方向ではなく、進化し社会と共存していく道も開けるのではと思っています!