うつ病で寝たきりから、すこーし家事ができるようになるまで。
私は仕事は続かないのですが、家事はできています。
なんなら「普通の家」に求める基準が夫より高いので、たぶん健康な夫より家事は上手。
うつ病になって(正確には双極性障害だけど、躁っぽい症状がないため疑っている)から、仕事を休んで、辞めて、ずーっと眠っていて、散歩ができるようになって、音楽が聞けるようになって、ご飯が食べられるようになって、洗濯物を干せるようになって、肉野菜炒めなら作れるようになって。
宮本佳実さんの「可愛いままで年収1000万円」を読んで起業したいと思うようになって、まあいろいろあって辞めて(私の感覚としては「諦めた」というより「辞めた」の方がしっくりくる)、佐々木典士さんの「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」を読んでめちゃくちゃ捨てて家が片付いたり。
ここまでくるのにいろいろあったし、やったな〜と思うわけです。
お金を無駄にしたこともありましたね。
今回は夜に寝て、朝起きて、ご飯を朝昼晩食べて、洗濯物干と肉を炒めるくらいができるようになったところまでを思い出してみようと思います。
とにかく眠る
この病気になって半年は一日中寝ていたと思います。
10分程度のお散歩ができるようになるまで、半年程度かかったということです。
また、良くならないことに対してお医者さんへの疑いも育っていたので、転院をしたのも半年くらい経ってからです。
こうみると、「寝たままの自分でいたくない」「元気になりたいから病院を変えたい」と気力が湧くまでに半年かかったんですね。
それまでは本当に一日中寝ていました。
元気になるのに、東京から実家のある鹿児島に帰ったのも大きな効果があったと思います。
夜寝て朝起きれば(寝坊でも)怒られない。
規則正しくご飯も出てくるし、お洗濯もしてくれる。
お風呂は面倒だけど、借りてるマンションのものより広いし準備もしてくれるからどうにか入る。
そしてこの至れり尽くせりの状況に罪悪感を持たずに済む!
実家最強!
確か1〜3月あたりの寒い時期に帰ったんじゃなかったかなと記憶しています。
寒いとメンタルも弱りますから、この時期を実家で過ごせてよかったです。
きつければ布団に入り、起きていたかったら居間にいればいい。
調子が良ければ可愛い甥っ子とも遊べる。
母も話し相手になってくれるし、触り放題の犬と猫もいる。
やはり実家は良い(2度目)。
当時は夫と同棲(夫はまだ彼氏)していたので、夫もずっとひとりでは寂しいということで東京に戻りました。
私は天気が良い日の午前中が1番調子の良いタイプで、日が暮れていくにつれて心臓の辺りがぐらぐらして泣きたくなっていました。
そこで、夕方4時半から30分ほど母親と電話をしていました。
母も大変だったと思います。
もちろん夫も大変です。
新卒2年目で夜の10時過ぎに帰宅することも多々ありました。
しかも帰ってもご飯はなく、弱った彼女だけが待っているという状況。
よく夫は倒れなかった。
確か冷凍食品を買い込んで、料理はなるべくしないようにはしていたと思います。
私も冷凍のパスタは食べられたので、よくお昼ご飯にもそもそと食べていました。
東京に戻っても、1、2ヶ月はなにもできていなかったのではと思います。
まず散歩ができるようになった
春になり暖かくなると、お昼にお散歩ができるようになりました。
鍵とスマホだけ持って、バッグなんかは持たずにぶらぶらと歩きました。
面白いものを見つけたら写真を撮っておいて夫に見せることもありました。
近所なのにそれまで存在を知らなかった公園に夫を連れて行ったことも。
そうしているうちに、天気の良い日の中でお洗濯ができる時が出てきました。
ベランダに出て、干して、座って、YouTubeで流す音楽を聞きながら日の光を浴びました。
まだ歌詞のある音楽は聞けませんでしたね。BGMみたいなのを聞いていました。
4、5月くらいに宮本佳実さんの「可愛いままで年収1000万円」を読んで、自分にとっての理想の生活とか考えて遊ぶようになりました。
自分だったらなにで起業できるのかな、するのかな、とか。
どんな服装だったらワクワクするかな、とか。
洗濯物を干していた記憶はありますが、畳んだ記憶はないので、たぶん回収はするけどそのあとは夫に任せていたのだと思います。
夫も洗濯物を畳むのは苦手なので、きっと部屋に山になっていたのでしょうね。
でも、窓際でお日様の光を浴びている自分は嫌いではありませんでした。
ちゃんと布団から起き出してるしね。
それだけで偉い!
転院したら、体が軽くなった。
7月、8月くらいに、薬が増える一方の病院に嫌気が差し、紹介状なしに転院しました。
お薬手帳だけ持って初診に向かいました。
もともとサインバルタを飲んでいたのですが、鹿児島の病院でアモキサンになっていました。
転院先はマンションの近所にあり、増えていた薬を整理してくれました。
しばらくアモキサンを飲んでいたのですが、一向に良くならないと先生からサインバルタを試さないか提案されました。
するとこれが効果的面!
それまでは重い体を引きずって歩いていたのに、テキパキと動けるようになりました。
先生も話すスピードが速くなったと喜んでくれました。
ここまでくると、夫を料理をして待てるようになりました。
といっても、豚肉とキムチ、豚肉と酢漬けにした玉ねぎを炒めたものばかりでしたけど。
それでも夫はおいしいと食べてくれました。
食器洗いはふたりとも苦手なので、ためて使えるものがなくなってから洗っていました。
まとめ
私の場合、元気なるためにしてよかったと思うのは、実家で2、3ヶ月休ませてもらったことと、転院して信頼できるお医者さんに会えたことです。
時期もよかったのでしょう。
寒い冬は実家で守ってもらい、暖かくなってから散歩などの挑戦を始めました。
それらがうまく噛み合って元気になっていったのだと思います。
この後も、パートを始めてみたけれど出社前に吐き気がしたり、正社員になるけどお昼ご飯を嘔吐したりとなかなか完全回復とはいかないのですが、まあ、それでも楽しく生活できるようになりました。
夫も頑張ってくれ、2回転職をしてまずは早く仕事が終われる職場に、次にフルリモートで働ける職場になりました。
夫も自分に余裕ができるようにと動いてくれていたのです。
こうして、今はそれなりに平穏に暮らしています。
うつ病の本は、初期にどうするかばかりで、その後どうやれば元の生活に戻れるのか書いていないものばかりだと思います。
そんな中で自分なりのやり方で元気になっていくしかないこの病気は本当にタチが悪いと思います。
元気になったと思っても、疲れやすかったり、泣きやすかったりと以前と違う自分になってしまうし。
本当、生き方を模索するのが大変な病気ですね。
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