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双極症と私: 6割の私、それでも楽しい!

まただ。
そう思うのはだいたい朝、目が覚めた時である。

何より体が重い、だるい。
その体を引きずって起き出す気力がない。

昨日までは誰より早く起き出し、朝食を作り、娘を時間内に保育園に送ったあとに、リビングに散らかった娘のおもちゃを片付け、キッチンにも掃除機をかけ、洗濯をして、買い物にも出かけられたのに、今日にはもう何もできなくなっている。

眠ってはいけないと思うから二度寝はしない。
でも、布団から出られないから時間だけはすぎていく。

結局、朝食はパン屋で食べたし、娘は30分遅刻して保育園に行った。


毎月やってくる不調

私は双極症で波がある。
いつもはリビングとキッチンの片付けと掃除、2日に1回の洗濯、食事の準備をする。
このルーティンをこなせなくなるのは、だいたい生理の時だ。

月に一度、病院に行っても、「生理の時期また料理ができなくなりました〜」「生理が終わったら元気になりました〜」みたいな報告ばかりしている。

薬は、「自然と復活したなら…」って感じで増えない。
先生も増薬が原因の躁転を不安視してる気がする。

でも、以前は生理の時期以外にも、何もできない時期があった。
「何もできない」の前には決まって「なんでもできる」時期があった。

落ち込みながら「調子がいいと思っていたけれど、あれは元気が良すぎたのだ」と思い至る。

例えば、いつもより寝付くのに時間がかかったり、夜中にちょくちょく目が覚めたにもかかわらず、日中、眠くないしだるくない。
睡眠の質が悪い割に、ルーティンをいつも通りにこなせるというわけだ。

しかもこういう時期はルーティン以外の家事(2階やトイレや洗面台の掃除、庭の手入れなど)にも手を出している。
要するに、体を酷使している。

こんな感じで散財するとかじゃない。
無茶な夢を語り始めるとかでもない。

だから、ずっと医師にも「双極症ぽくないね」と言われてきた。

それはさておき、こうして家事がすごくできる時期の後に疲労感で全く何もできなくなる時期が来る。
「時期」という表現を使っているが、私の「時期」はたいてい長くて1週間程度である。

1週間なんだか調子がいいなと思っていたら、1週間ダラダラしかできなくなるって感じだ。

ラツーダが証明する双極症

ちゃんとしっかり勉強したわけではないのだが、私の波はネットや本に書かれている双極症の波とはなんだか違う印象を受ける。

「時期」、サイクルが短い気がするのだ。

1年のうちに4回以上も躁状態とうつ状態を繰り返す急速交代化(ラピッドサイクリング)を誘発してしまうことがあるので、注意が必要です。

https://www.smilenavigator.jp/soukyoku/about/03.html

あるサイトには上記のような表記があり、「え?毎月あるが?」と困惑してしまった。

もしかしたら軽度のうつ状態にはなっても、躁状態にはなっていないのかもしれない。

あるいは、本来の双極症とは違うタイプなのだろうか。

ただ、「実際に波がありますね」と医師に言われ、「ラツーダ」という薬が追加されてからは、生理の時期の落ち込みだけに落ち着いた。

この「ラツーダ」が効いたことで、医師は「やはり双極症の気がある」と確信を強めたように見える。

私が飲むサインバルタは気分を上げる薬、エビリファイは躁転を防ぐ薬。
この「ラツーダ」には抑うつ症状を防ぐ、持ち上げる系の力があるらしい。

サインバルタとの違いがわかりにくいが、サインバルタを増やすと躁転が怖いようだ。

だから増やすならラツーダ。
初めは20mgだったラツーダも、今では40mgになっている。

服薬以外にも、対策は必須。

環境を合わせるのは基本中の基本

ラツーダが追加されてしばらくは生理中の落ち込みもなくとても調子が良かったのだが、今は気分の低下が見られるようになってしまった。

食事の準備ができなくなることが致命的だったので、先日やっと「気合いで料理する」から「レトルト食品を買って対処する」にシフトした。

私が合わせるのではなく、環境を合わせることをやっと思いついた。
ここまで長かった。

料理をしたくなくなっても大丈夫と思ったら安心したのか、意外と生理前だがいい調子がキープできている。
嬉しい。

私は全力を尽くしてはならない

最近調子がいいが、図に乗って頑張りすぎると元気がない時期が来てしまうから、気をつけないといけない。
頑張りすぎ、禁物。

医師には「6割の力で頑張って」と言われている。
「なるほど」とも思うし、「結局どれくらい頑張っていいんだ?」とも思う。

ただわかるのは、私は10割の力を出してはならないということ。
まだ余裕があっても、ブレーキを踏んでおかないといけないということ。
それはちょっと寂しい。

それでも楽しいことは見つけていきたい

目に見えない類の病気は難しい。
この病気は脳の炎症のような表記を見かけることがあるが、もやもやと違和感があるのはいつだって胸だし、体感としても自分の心が弱くなったなと思う。
脳の病気だなんて思えない。

まあ、信じられなくても事実は事実としてあるのだけれど。

こういう精神の病気は、あれこれ考えても仕方がないのだよなといつも思う。

「どうしてこんな病気になったんだろう」「あの時ああしていれば」「あの時こうなっていたらどうだったんだろう」「どうすれば普通に戻れるんだろう」

そんな疑問は何も現実を好転させない。
むしろ自分を責める形になって体を弱らせる。

だから、楽しいことを考える方が建設的だ。
何も病気になったからって、人生を楽しんではいけないわけじゃないのだから。

最近、また英会話の勉強を始めた。
途中で止まっていたテキストを解きながら、AIと英会話できるアプリを無料でお試ししているところだ。

このアプリがめっぽう楽しい。
受験英語は聞けて読めればどうにかなることが多かったから、私は書くことと話すことを苦手としている。
アウトプットに力を入れられるアプリは新鮮で刺激的だ。

そして最近、硬筆の競書を毎日練習している。
字をきれいにしたいなら、毎日お手本を見て書くのが1番だろうとこれもやっと思い至った。

これは昇級だろうと思える自信作が書けるようになって嬉しい。

それに、こうやってnoteを書くのも楽しいし、呉服屋さんに通うのも楽しい(無料の着付けレッスンを受けている)。

働けないことを筆頭に、自分が弱いことは悲しいし胸に支えるけれど、負けずに楽しいことは見つけていきたいし、楽しんでいきたいなぁと思う。



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鷹野いづみ
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