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実写版「アラジン」感想

記憶が正しければ実に一週間ぶりにnoteを書いている、たかこです。ごきげんよう。

この七日間、何をしていたかというとひたすら映画を観ていました。いま、映画熱が高め。私のことだからそのうちまったく観ない時期が来るのは明白。それまで楽しみます。
鑑賞する映画の九割は相変わらずホラー。今週は「インシディアス」シリーズを完走。でも最も印象に残ったのは藤原竜也主演の「22年目の告白」だったなあ。前回noteに書いた「冷たい熱帯魚」といい、邦画もやるなあ。藤原竜也つながりで観た「バトルロワイアル」も良かった。邦画をほぼ観ないで生きてきたのでこれは新たな発見。

というわけで今日は藤原竜也主演映画の話をします。嘘です。「アラジン」実写版です。
昨夜、金曜ロードショーで観たから。そしてすごく面白かったから。

実はというか、私はディズニーにちょっと苦手意識がある。あった、と過去形にするのはまだ早いかもしれないのでとりあえず現在形。
「ノートルダムの鐘」までは好きだった。「ポカホンタス」で「ん?」となり「ポカホンタス2」で撃沈。以来、ディズニーのアニメ映画は観ていない。だから「アナ雪」もなんかありのままにっていうことしか知らない。そもそも略していない正式なタイトルも把握していない。
なんでだろうって考えたら「ノートルダムの鐘」は確か高校三年か大学一年のころに観て、悪役(アラジンで言うとジャファーポジション)がなかなかリアルに作りこまれてたから「ディズニー、魔法の世界からシビアな脚本になってくのかなあ」とわくわくしてたのに「ポカホンタス2」が「やっぱりエンターテイメントに夢って必要だと思うの……史実だとしても……」みたいな内容だったため、ちょっと距離をとったのだと思う。
が、ちゃんと調べてみたところ、映画公開の順番としては「美女と野獣」→「アラジン」→「ライオンキング」→「ポカホンタス」→「ノートルダムの鐘」(→中略→OVA「ポカホンタス2」)らしいからどこかで勘違いしてそう。
で、もうちょっとよく思い出してみた。そういえばもともとディズニー映画はそんなに観てなかったのが、イギリス留学中にホストマザーのお孫さんたちとひたすら観ることになったのが私のディズニー体験だったような気がする。特に「アラジン」は日本だったら「トトロ」ぐらいの人気で子どもが集まると必ず観ていた……ような?(ちょうど「ライオンキング」が公開中だったけど当然ビデオ化はされてなかった)でもホストマザーの世代にはあまりウケていなかったようで、お孫さんがいない時にレンタルして観てたのは「スノーホワイト」「シンデレラ」「ピノキオ」「ファンタジア」あたりのレトロな作品。あと「メリー・ポピンズ」(オリジナル版)とか。で、私も「アラジン」よりこっちの方が好きだった。でも子どもたちが「ピノキオ」より「アラジン」が好きって言うのもわかる気がする。と、十八歳の多感な時期にいきなり異文化圏でディズニーの洗礼を受けたこと自体どだい無理があったのではないかと思う。そういえば「アラジン」から「ポカホンタス」まで「舞台設定がヨーロッパから離れたなあ」と思ってたら「ノートルダムの鐘」で戻ってきて次に「ヘラクレス」や「ムーラン」とまた欧米から遠ざかったのも何か違和感あって「これからディズニーこの路線なのか」とぼんやりしてたら「ポカホンタス2」だったから要するに「ポカホンタス2」が悪い。
そんなわけで約二十年の月日を経て金ローで「アラジン」やりますよって言われたときは「スタンド・バイ・ミーはその次か」としか思わなかったのに、実写と知って「これは観なければ」となったのは、実写版があることを知らなかったからです。どんだけディズニー離れしてたの……。
ていうか「アラジン」でしょ?魔法の絨毯でしょ?実写とかすごくない?現代の技術すごいなっていうのもあったけどもっとよく考えたら私たぶん「アラジン」まともに観てないわ……っていう……。
だってイギリスにいたんだもん。英語なんだもん。しかもイギリスにいるのにアメリカ英語なんだもん。だいたい日本人だって子どもにつきあって「トトロ」をまじめには観ないでしょうが。観ないよね?え?観る?あ、うん。あー……うん……あまり大きな声では言えないけどジブリもそんなに好きじゃないからな……。まあでも、さすがに音楽はすごく良かったのでそこだけは憶えてました。ストーリーはいやまあディズニー知らなくても「アラジンと魔法のランプ」でだいたい分かるじゃん。って冷静に考えると魔法の絨毯って「千夜一夜物語」のランプと魔神の話とは関係ない気がするけど(記憶があいまい)まあディズニーだから。そういうディズニーならではの付加要素と同じ意味で音楽だけはしっかり憶えてたし歌える。イギリス英語のアクセントで。

というどうでもいい前置き(これ前置きなんだよ、信じられるかい? trust me?)はここまでにして、以下、実写「アラジン」の感想。
今さらだし、ネタバレします。
くりかえします。ネタバレしますよ。
あと当然のように既に十億人のアラジン及びディズニーファンが百億回は言っているようなことを書いていきます。八十年代以降のディズニーアニメをほぼ知らない人間の戯れ言ゆえ、ご容赦ください。


*

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ものすごく面白かった!ミュージカル大好きだから!
つまりディズニーファンでも舞台(実写)でのミュージカルは苦手っていう方にはちょっとアレなのかも?というのはあった。わたしミュージカル好きで良かったなあ。おかげですごく楽しめた。ミュージカル映画は歌いつつ実際に踊ったり動いたりしなくていいもんねとは言いません。CMで劇団四季の「アラジン」が流れてたけど映画版の音楽の歌詞は四季の翻訳準拠なのかな?ともあれ舞台ではできないことをやってくれるのが映画です。素晴らしい。四季版「美女と野獣」は観劇したことあるけど空を飛んだり屋根から屋根に飛んだりはしないからなあ。どういうふうになってるんだろう四季版「アラジン」……気になる。
ともかく、ミュージカル好きなおかげでさほど違和感もなく最高に楽しめました。ウィル・スミスは言うまでもなくめちゃくちゃ良かったけど私はジャファーとオウムが好きでした。数千年単位でめでたく添い遂げられるようで何よりです!おわり!

おわりなわけがない。

まあ、まずミュージカルだからこそやっぱり吹き替えで邦訳するとなあ……a whole new worldだけ訳さないのは英断だと思うけどそれなら歌パートだけ言語でも良いかなあとか、日本のミュージカルファンなら誰でも一度は思うようなことをもちろん思ったり。なので近い内に言語で観たい。つまり歌パート以外はまったく不満がないからまた観たいと笑顔で言える。「ポカホンタス2」とはえらい違いである。
で、そのa whole new world、前述した通り歌だけはさんざん聴いていたし好きだったから歌詞もほぼ憶えてたんだけど、改めて「アラジン」のストーリーを知ってから歌ってみるとすさまじい名曲だということがわかってちょっと泣きたくなりました。
ジャスミンが王になりたがってるとか昨夜まで知らなかったのだけれども、そこから女性進出の物語でもあるんだなっていうのは容易に想像がついた。が、その「想像」を「超える」ことで進んでいく話なんだね、「アラジン」。
a whole new worldの場面でジャスミンが地図でしか知らなかった世界を自分の目で見る、っていうのはアラジンにとっても同じ体験だったはず。アラジンだって街のことは知ってても国の外は知らないから(そんなお金なさそう)ジャスミンに「世界を見せてあげるね」と言いつつちゃんと「魔法の絨毯の力で」とも白状してる。そんなに誠実な男がなんで嘘つこうとすんの?っていうのは恋をすればそれも余人の想像を超えた愚かさなのよって言える。気がする。
「a whole new world, a new fantastic point of view」は単純に「目に入るもの」とか「視界、視野、視点(=思考)」だけじゃなくて「知らなかったことを知って価値観が変わる」「想像もしていなかったものを見たから更に今この現実をも超える何かが世界にはあるはず」みたいな驚きに満ちた確信と歓喜だろう。このパートを歌ってるのアラジンだし。
続けてジャスミンが「a whole new world, a dazzling place I never knew, but now I'm up here, it's crystal clear that I'm in a whole new world with you.」は「見たことなかったものすべてきらきらしてる!でもこうやって見ると(きらきらが晴れて)くっきりはっきり見える、世界が生まれ変わった瞬間をあなたと見てる」……っぽい感じ。で、これはジャスミンが「そんなことあるわけないでしょ」って思ってたいろんなことを一旦リセットしたようにも見える。自分の知識とか、教育とか、概念とか、「アリ王子がアラジンなわけないでしょ」とか。だからそのあとで「もう帰れない」とも歌ってるのにちゃんと王宮に帰る。世界が自分の想像を遙かに超えて広すぎるので、そして自分が姫であろうとなかろうと世界すべてを見てまわるのは不可能なので、目の前にあるものに心あらたに真剣に向き合おうとする決心。浮かれてる(実際に飛んでる)ようで地に足がついてる。
ここは何だかんだウィル・スミス(じゃなかったジーニー)がついてるもんねっていうアラジンと、魔法とは無縁でどこまでも現実と孤軍奮闘しているジャスミンの対比にもなってる。ものすごく惹かれあってるけどまだ理解しきれてはいない若い二人。なんでかっていうとお互いが想像を超越した存在なのに結局のところ人間は想像の範囲内でしか見れないものだから。魔法と呪いは紙一重で、結構どちらももろくて、束縛されるのも簡単ならぶっこわすのも意外と難しくない。ということに、成功または失敗してから気づくのは世の常。想像力がないと愛情もあっさり憎しみになるからねえ……。
「a whole new world」のパートが終わって二人と一匹と一枚で街を見下ろす場面、ちょっと低い気がするなと思ったらジャスミンのバルコニーと同じ高さって気づいた時になんか感動した。
あと「a whole new world」が「想像を超えた世界があるよ」というメッセージを持っているとしても、実写版では実はそんなに遠くまで行ってない気がした。最後まで観てからアニメ版の同じシーンを観てみたらこちらでは中国っぽいとこまで行っている。これはたぶん舞台がアラビアとかそのへんなのでディズニー映画をリアルタイムで観る視聴者にとっては既に充分に「見知らぬ世界」「イメージの世界」なんだけどそこから更に「想像を超える」ならともかく「欧米的でないもの」が「a whole new world(世界はあなたが思うよりずっと広いのです)」を表現する限界だったのではと邪推する。だってあの時代、日本から来ましたって言うと「日本て中国の首都だっけ?」って聞かれるの普通だったんだもん。老若男女とわず。イギリスでは。
あ、そういえばジャファーとの戦いでアラジンがいきなり雪山に飛ばされて私は極めて個人的な理由からそれを許せなかったんだけど、あれもまあ「a whole new world」の一部ではあるので許した。砂漠の民なら雪って見たこともさわったことも、何なら存在も知らなかったのでは。「えっこの冷たいの何?」ってびっくりしただろうし。後になって落ち着いてから「あれ何だったんだろう」とか思い出すんだろうなあ。かわいそう。あれもジャファーの意志ではなくて魔法(呪い)の力だから、ジャファーも「雪山へ行っちまえ」とかいう非人道的な発想すらなかったわけで、はからずも想像を超えまくってしまったことに気づけぬままのジャファーもある意味、被害者なのです。だから魔法と呪いは紙一重だと言うのよ。

というのが私の「アラジン」を観ての感想というか、思ったこと。こう書くとディズニーがその後しばらく題材を欧米の外に求めていたのも納得がいく気がしなくもない。
あと、いろいろあったけど最終的にジャスミンが父親から許しをもらえなかったらハッピーエンドにならなかったのは、やっぱり女性進出(世代交代)のコンセプトを制作陣が捨てきらなかったのと、親を捨てきるヒロインは恐らく共感を得難い時代であったのと(てっきり「あなたの身分なんてどうでもいい!あなたの想像でしかなかったあなたの、いえ私たちの国を作りましょう!」って出奔するパターンかとばかり思いこんでた)、国の外へ出て行くのはもうウィル・スミス(じゃなくてジーニー)が一足はやくやっちゃったので、とか、まあ色々あるんでしょう。
ついでにもう一つ思ったことは、「知識や情報だけでなくその目で世界を、人を見よう」という啓蒙的なテーマが、そのわずか十年後、よりにもよってイスラム圏での紛争やテロを「この目で見たい」と言って命を落とした若者たちを想起させてしまうことが悲しい。現代にもジャファーはいる。と書ければきれいにまとまりそうなんだけど(?)私ジャファーが好きだから複雑です。ジャファーは生きているっていうより、想像力は猫をも殺すって言う方が適切かもしれない。いえ、まじめに。


以上、相変わらずだらだらした感想でした。
とにかく実写版「アラジン」楽しかった。これは確か。なので次は字幕で観て、そしてアニメオリジナル版もちゃんと観たい。機会があれば四季の舞台も観たい。せっかくだしディズニーにリトライして「アナ雪」も観てみたい! a whole new cinema world !






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