「その研究で何に挑もうとしていますか?」
実践研究に取り組む院生が「研究」の感覚をつかんでいるかは、
「その研究で何に挑もうとしていますか?」
という質問にどう答えるかで、だいたい分かる気がする。
みたいな答えが返ってきたら、研究の感覚がつかめていない。
実践上の「◯◯したい!」という願いが、そのまま研究上の問題設定と一体化してしまっている。
一方、研究の感覚をつかんでくると、次のような言い方になる。
これらは、もちろん、細かくて具体的というのもあるが、それ以上に大事なのは、ここで「挑む」対象になっているのは、その分野におけるこれまでの通念であるということ。
1つ目のだと、「『本質的な問い』を使って尋ねることで単元導入時の診断的評価ができる」という通念に対して。
2つ目のだと、「仮説を立てて検証する数学的活動は1サイクルで十分である」という通念に対して。
そして、「挑む」の意味も異なっていて、先ほどの、研究の感覚をつかんでいない場合のパターンだと、実践そのものが「挑む」対象であり、「取り組む」という意味を表す。一方、研究の感覚をつかんでいる場合のパターンだと、その分野の通念に対して「挑む」、つまり、「疑問を投げかける」という意味を表す。英語のchallengeは、例えばchallenge the notionだと、「その考えの実現に努める」ではなく「その考えを反駁する」だが、それと同じ語法のイメージだ。
実践研究とは、実践に励むことそのものではなく、その実践的な試みを通して、何かを明らかにしたり何かに疑問を投げかけたりするもの。
これを別の角度から言い表すと、研究の文脈に自らの実践を位置付ける、あるいは、研究上の問いを設定する、といったことになる。
これをどうやって院生らにつかんでいってもらうか。