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巨人の肩に乗る

先週と今週で、教職大学院の課題研究(必修で、修了研究にあたるもの)や専門学術論文(選択制で、従来の修士論文の仕組みを引き継ぐもの)の提出やら発表やら試問やらが終わった。

先週のグループゼミでのM2院生による課題研究発表でこんなことがあった。
O先生からの「〜についてはこうも考えられるんじゃないか」的な質問に対し、発表者の院生が、

O先生がおっしゃったのは、先行研究の清水が述べていることと近くて、うんぬん。

といったことを答えていた。

なんてことなさそうなやりとりなのだが、こうした点に、私は院生の成長を感じる。
どういうことかというと、こうした質問に対し、研究を始めたばかりの院生だと、

〜については私はこう考えます。

というように、「自分の考え」で答えてしまいがちなのだ。

いや、自分の考えだってもちろん大事だ。
けれども、これまでにもいろいろ議論されてきた蓄積を参照せずに述べる「自分の考え」は、いわば、我流の考えでしかない。今までのいろいろなラーメンスープの出汁の取り方、あるいは広くいろいろな料理法を知ることのないまま、「私はこうすればおいしいラーメンスープができるのではないかと思います」と述べるようなもの。

そうではなく、過去にこんな議論があった、こんなことが述べられてきたというのを知り、それを自分なりに整理したうえで、「自分はこの立場をとる」というのを示す。あるいは、ときにはそこに新たに自分なりの見方を打ち出す。
巨人の肩に乗る」という表現があるが、これはそういうことだ。

先の院生の「先行研究の清水が述べていることと近くて」といった答え方は、自分の中に先人たちの業績のマッピングがあるからこそ可能になる回答だ。また、そんなふうにこれまでの蓄積との距離で考えを示すことの大事さが体得されているからこそ出てくる回答だ。
だから私はそこに成長を感じる。

研究を始めたばかりの院生が、「〜については?」というこちらの質問に対し、「私はこう思います」式の回答を返す。それに対し、「いや、そうじゃなくて、まずは、それについてどんなことが述べられてきたのかを示しなさい」みたいな指導を行う。そうしたことの積み重ねで、院生たちは、アカデミックな思考法になじんでいく。

まあ、一方で、煙幕のように、「誰それはこんなことを言っていて」ばかり並べる院生に対しては、「で、あなたはそれをどう捉えているの?」とツッコむことになるんですけどね。難しい。


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