遠近法(その3)——イタリアびいき
ここ最近の自分の投稿を読み返していると、われながら力のない文章が続いていると痛感します。四月の下旬から六月の下旬にかけて、二冊の原書を立て続けに読んで、しかもどちらもボツにしてしまったので、よほど疲れたのだろうと思います。寄る年波ということも実感させられます。
前回、塩野七生の『ルネサンスの女たち』を引用したのは、若い頃に読んで元気をもらった作品を思い出して気合を入れ直そうという魂胆でしたが、エネルギーが底をついているときにはどんなに頑張っても元気は出てこないようです。うつ病患者に元気を出せよと励ますようなものかもしれません。
長いこと、物書き生活をやってきてつくづくと思うのは、文の説得力というのはやはり生きるエネルギーからやってくるということです。レトリックだの豊富な語彙だの、そのたぐいのものは表現するエネルギーをコントロールする技術とはなりえても、それを生み出すジェネレータにはならない。
でも、かつて元気の素を授けてくれたイタリア由来の作品を引用したのですから、この際、忘れ難い「イタリアもの」をついでにもう少し紹介しておきましょう。
ローラン・ビネの最新作『遠近法』がらみで言えば、美術史家・若桑みどりの『マニエリスム芸術論』(ちくま学芸文庫)が手もとにあると、何かと便利かもしれない。若桑先生は二〇〇七年の十月に七十一歳でこの世を去っている。今、先生と敬称をつけたのは、もちろんこの美術史家を尊敬しているからだが、本人は、終生大学で教鞭を取ったにもかかわらず、誰も先生と呼びたくないし、自分のことも先生と呼ばれたくないと言ってのけた人である。こういう人を私は先生と呼びたい。四十代でこの本を読み、とても勇気づけられた。
次は須賀敦子。昭和二十八年(一九五三年)からフランス、そしてイタリアに留学し、そこで結婚し、多くのイタリア人の知己を得たが、夫ジュゼッペ・リッカ急逝ののち、イタリアから帰国し、大学の職員や非常勤講師を務めながら、独自の文学世界を築き上げていった人である。病床の妻が最後に愛読した作家でもある。『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『トリエステの坂道』、『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房)、『イタリアの詩人たち』(青土社)など。
もう一人、あげるとすれば、ヤマザキマリさん。あえて紹介するまでもないだろう。こういう元気な人が日本には必要だ。