精神の政治学とJ・J・ルソー
ルソーは啓蒙思想、フランス革命への影響、民主主義の根幹を作った人物として知られる。
本稿では、ルソーを現代から見る(その影響や現代的価値から見る)のではなく、歴史から(心や気持ちから)知っていこう。
J・J・ルソーについての前提知識
「人間は自由に生まれたが、いたるところで桎梏(鎖)に繋がれている。それはなぜか?」という問題提起からルソーは社会契約説を唱えている。
「自然状態」にある人間は基本的に善である。しかし私有財産の観念が発達すると、社会はそれを保護するシステムを発展させざるをえなくなる。このシステムは私有財産をもたない人びとによって法が課されるというかたちで進展する。これらの法は人びとを不正な仕方で拘束する。
ルソーは1750年代の社会不安のなか、貴族政治にも君主制にも教会にも支配されることではなく、統治の業務に市民全員が参加し自ら運営する市民社会をヴィジョンとして提出した。彼の社会契約論では、法を制定する権力を一般意志によって統べられるひとつの全体として人民に委ねることで、万人の恩恵が保証されるようになると推奨している。
精神の政治学
自己と場とを冷静に眺めることで、自己を場によって変貌させながら一貫した人格を保ちつづける。これが精神の政治学である。個人の純粋性と支配-被支配としての自己との均衡である。では、ルソーの精神の政治学はどんなものであったか。
ルソーは神を信じていた。
ルソーは、自然(神)に直面するときにのみ支配-被支配の自己を捨て、個人の純粋性を保てた。また神への信仰が個人の純粋性を担保した。
そして彼は社会や現実を不合理な存在と見ていたゆえ、社会組織の徹底的合理化を信じた。
ルソーは主権に対する服従に個人の自由をみとめたが、服従できない主権とは、個人の純粋性を保てない悪政だった。
このように彼は支配-被支配の自己の合理化、社会合理化を徹底した。それによって精神の政治学を不要とし、それにとって代わって科学が割って入ってきたのだった。
しかしルソーは晩年、社会合理化に破れて、「告白(懺悔録)」を書き、個人の純粋性の方に救いを求めた。
精神は立ち止まることが必要である。
いや、静止したときに現れるのが精神である。
今必要なのは、現実のただ「今」において静止すること。そして自分たちの立っている足場を理解し、言葉や話し手との距離を絶え間なく変化させる能力をつけることである。
個人に精神的に強さをつける、そのために。
参考文献
ウィル・バッキンガム他「哲学大図鑑」
三省堂「コンサイス法律学用語辞典」
福田恆存「近代の宿命」
浜島書店「世界史図録」
桑原武夫編「ルソー」
林達夫「ルソー」