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【2分で読破可】『無関心』は誰にでもある
※この記事は800文字です。2分で読んでいただけます!
はじめに
あまり最近は騒がれなくなったが、一昔前「政治的無関心」という言葉が流行したと記憶している。
この「無関心」という言葉。誰にでも当てはまるものなんじゃないかと思う。
その件について記したい。
腰痛から考える手すりのありがたみ
私は学生時代にあるスポーツの練習過多により疲労骨折をして、それを機に選手生命を絶った経験がある。
腰にヒビが入り、日常生活に大きな影響はないが選手としては致命的。未来はなくなった。その話が主題ではないです…
どんな学校でもそうだと思うが、校内の階段には手すりがついている。
よくある話
友人と遊んでいて、手すりに「ドーン!」と頭をぶつけて
「なんでこんなとこに手すりあんだよ。うざっ」
恥ずかしいですが、私は学生時代に思っていたタイプ。
でだ。
疲労骨折からくる腰痛を患った時は、
「手すりがあって、本当にありがたい」と思うほど、手すりがなければ階段をまともに降りられない。(※階段の昇降の負担は降りるときの方が大きい)
痛みが走るが、手すりがあって本当に助かった。
まとめると
自分が困る事実がなければ、手すりを設置した理由すら深くは考えない。
これが無関心の状態。
腰痛を患ってから見える世界が違うのだ。
よく言う「〇〇的無関心」。
恥ずかしながら私は該当する と思った。
おわりに
心配には及びません。。(心配してないと思いますが苦笑…(〃ノωノ)
現在は大きく症状は出ることなく、無事に暮らせています。
ご安心ください。
ふと今日は自分も無関心のことは大いにあるし、
きっとほかの人も無関心の事柄ってあるんだろな、と思った。
そう考えると
「愛の対義語は『無関心』だ」とはよく言ったものだな。
無関心を減らすには何事も愛を!
まずは身近なところから愛を持って接しよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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