#735 「戦争に反対する唯一の手段は。」について
ピチカート・ファイヴ解散後2002年3月にリリースされたトリビュートアルバム。タイトルは「戦争に反対する唯一の手段は。ピチカート・ファイヴのうたとことば」
(※noteは縦画像やAmazonのリンクを貼るとジャケットの縦横比がおかしくなるの気に食わない)
リリース前年の2001年には9.11が起こり、世の中の空気が「戦争」と「戦争反対」の二元論で充満していたような時期だったと思う。(2003年3月にイラク戦争勃発)あれから20年、世界はまた同じような空気になっている。
2001年、小西康陽さんが主宰する「レディメイド」というレーベルから曽我部恵一さんがシングル「ギター」をリリースする。この曲に登場する歌詞「戦争にはちょっと反対さ〜」なんかは当時の世相を表している。
話を戻そう。
この「戦争に反対する唯一の手段は〜」はそんな時代背景のもと生まれたタイトルだとは思う。当時、小西さんのインタヴューを読んだわけではないけれど。アルバムの紙ジャケットを開くと、言葉の続きがある
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。 吉田健一」
そう、このタイトルは吉田健一さんのエッセイの中の一節からの引用なのだ。このエッセイについて詳しくはミズモトアキラさんのnoteにある。
ミズモトさんの意見として、世の中的にこの「抜粋」が吉田健一が言いたかったことの真逆として扱われているのではないか?ということ。要は〈丁寧な暮らしこそが反戦〉的な意味で使われることに違和感あり、と主張されている。
ミズモトさんの主張以前にも同じような内容のブログも見たことはある
上記のような主張があるのは理解した上で、それでもあえて個人的に思うこと。それは小西さんはアルバムタイトル=「戦争に反対する唯一の手段は〜」は〈丁寧な暮らしこそが反戦〉という意味で使ったのではないか?ということだ。
そして、私のような考えを持っている?人たちがロシアのウクライナ侵攻以降、増えてきたようで、要はこのアルバムタイトルを引用する輩が増え、それに対する嫌悪感を抱く人も増えてきた感じがしていた。嫌悪感=ファッションで語るんじゃないよといった印象。
そう思ったのはこのツイートから
私個人の感想としては、前述の通りそして上記ツイートの通り。
吉田健一さんについては小西康陽さんの本で知った。確か「これは恋ではない」という本の中で、その名も「吉田健一について」というエッセイが収録されていた記憶が。
というのは、「戦争に反対する唯一の」が付けられた前提として、ピチカート・ファイヴの1999年作「ピチカート・ファイヴ」収録曲「戦争は終わった」なり、ラスト・アルバムは「さ・え・ら ジャポン」というアルバムの存在があると思うから。
「さ・え・ら〜」は世界の中の日本という風な構成になっているのは偶然か?このアルバムには「君が代」のカバーもありプチ物議を醸した。(カヴァーした理由について小西さんはメロディーが好きだからとおっしゃっていた。)
ちなみに、ピチカート・ファイヴ解散前の数枚のアルバムには歌詞の中に「お金持ち」「不景気」といったワードが頻出する。このお金持ちというのは吉田健一さんのことなのではないか、と勝手に推測している。
小西さん的に、これら解散前2枚のアルバムに伏線があった上で、この「戦争に反対する唯一の〜」という世相を反映したタイトルを付けたのではないのか?と思っている。
昨日読んだ本の一節にもそう感じることがあった。そのことについてはまた明日にでも。