その真っ直ぐな瞳の先に/マネーリテラシーについて考える
ちょうど今週、都内の小学校で租税教室という税金の授業を行ってきた。
税金を考えることで、国のあり方を考えてもらうきっかけを提供しようという取り組みである。
ちょうど1年前に初めて経験し、今回で2回目。思えば、ちょうど初めてのnoteの投稿でもあった。
前回は時間内にこなすだけで割と一杯一杯だったのだが、今回は2回目ということもあり、気持ち的にもだいぶ余裕を持てた。生徒達の反応に応じて臨機応変に展開が出来たのは1つの収穫だった。
小学6年生は、私が想像していたよりもずっと考えが大人で、でもその中に純粋でシンプルな視点を併せ持っている印象を受けた。
その中でも、教室の向かって左側で、一際真っ直ぐな視線を向ける男の子がいた。
■その子が人生最初に出会う職業が自分という事実
授業は順調に進み、最後に5分程時間が余ったので、質問タイムとなったのだが、その子は一番最初に手を挙げ、一点の曇りもない真剣な眼差しで、質問をしてきた。
どうして税理士になろうと思ったのですか?
内容だけ見れば、ありきたりと言えばありきたりな質問になるだろう。
ただ、質問を受けた瞬間、少し答えに詰まってしまった。
この45分で終始、純粋な眼差しを向けてくれていたことは気付いていたのだが、その子にとって人生で最初に出会う税理士が私なのだということにふと気付いてしまったからだ。
あまりに純粋過ぎるその気持ちに私は真正面から応えられるのかという迷いが一瞬出てしまったのだと思う。彼のキャンバスがあまりに白過ぎたので、彼自身の色を私の色が邪魔してしまいやしないかーーとの懸念が横切ったとも言える。
ただ、結局はこちらも素直に話すことしか出来ないし、するつもりもないはずだと思い直し、あくまで私の場合は、ということで返事をした。
・実家が工場のある自営業をやっていたこと
・よく母に連れられて会社や銀行に連れて行ってもらったこと
・社長だった祖父が家だと冗談ばかり言っているのに、会社だとキリッとして何十人もの人を率いて別人に変身するのが不思議で仕方なかったこと
・そんなこんなで幼心にも"カイシャ"というものに強い好奇心をもっていたこと
・そんな濃い中小企業の社長を一番近いところから支えられる存在になりたいと思い立ったこと
・実際になってみて、人様のお金を扱う以上、責任や悩むこともあるが、とてもやりがいがあること
・多くの素晴らしい人々に出会えて、なって良かったと今心から思えていること
細かくは覚えていないが、そんなようなことを話したのだと思う。
私は、私が伝えられるありのままを伝えて帰ってきた、という感想を持って、帰路についた。
■人を変えるのは、人しかいないという事実
その子が人生最初に出会う職業が自分という事実は、何も私だけに限った話ではないように思う。
近所のお花屋さんの店員が皆に愛される人だとしたら、その子のお花屋さんのイメージはどうしたってその店員さんに近くなるに違いない。逆もまた然りだろう。
親の存在がその子供の職業選択に与える影響はとても大きいように思うが、それもその職業の最初の人が親だという事実が影響しているはずだ。
職業の選択なんて、無限に選択肢が広がっているようで、意外とそんな些細なきっかけの中から無意識に選んでいるだけなのかもしれない。
そう考えると、本当に人との出会いは、偶然であるが故に貴重であり、時に人生そのものを決定付けてしまう程の威力を持ちうるものなのだと改めて考えさせられてしまった。
結局のところ、人を変えるのは人しかいない。
私自身にはそれ程の影響力はないが、そう思った。
■社会について変えていきたいと思っていること
ではどう人を変えていきたいと思っているのだろうと、帰りの電車で考えていた。
普段、私はあまり他人を変えようという思考にはならず、特に特定の誰かに対してはそのままを受け入れがちなところがある。
ただ、大きな方向性というマクロな話であれば、一つ見つかった。
それは、日本のマネーリテラシーを向上させたい、そしてその結果としての起業家を増やしていきたい、ということだ。
見てお分かりの通り、日本の開業率は諸外国と比較しても恐ろしく低い。その代わり廃棄率も低いのであるが、日本では起業がハイリスク・ハイリターンだという認識が根底にある現れなのだと思う。
その要因は、創業の環境が整っているか等の制度的な側面は色々あるだろうが、根本的な要因は、日本人のマネーリテラシーの欠如にあるように思えてならない。
要は、自分ごととしてお金を考えたことがない人が多いということである。社長が税理士の話に積極的に耳を傾けるのは、自分の大切なお金の話だからに他ならない、と思っている。
月々の手取額には興味関心があるが、それをどう変えていこうという思考に至る人が少ない。
源泉徴収や年末調整は、よく出来た制度だとは思うが、徴収側の論理で成立している制度であり、見方によっては私達がマネーリテラシーを養う機会を奪っている、とも言える。勝手に引かれて、勝手に計算してもらって完結してしまっているのである。
日本のマネーリテラシーが低い理由を学校に求めるのも、正解だがある意味では間違いだとも思う。
お金の教育は、出来れば小学生くらいの段階から始めた方が良い。そのきっかけ作りとして、今回の租税教室の存在意義はある。
ただ、結局のところ自分で壁にぶち当たり、自分の頭で考えていく必要がある。そのきっかけは、学校だけでなく、家庭、つまり親にも必要なものなのではないだろうか。
そのためには、やはり貯蓄一辺倒だと駄目だろう。それもある程度大切なのは間違いないのだが、自分の目と一緒に銀行で眠っているお金の目も覚まさせる必要がある。
投資や運用といっても、株やFXだけでない色々な手段がある。自己投資や事業投資も立派な投資・運用方法である。その本質は、儲けるということではなく、自分の将来を考えることそのものである。
アルバイトや副業、あるいは就職をして、自分でお金を稼ぎ始めてから少し気付き始め、自分で事業を始めて本格的に学び始めるーーのではなく、もっと日常的にそして前向きにお金に向き合える社会に出来たらと願っているし、そう出来るように私自身も行動していきたいと思う。
■おわりに
担任の先生を入れるとちょうど40人。
卒業前の、これから中学生という思春期の多感な時期を今まさに迎えようとしている小学6年生の貴重な45分をお借りし、ありったけの想いを吐き出してきた。
今日話を聞いてくれた生徒達が実際どう感じたかは、私にはわからない。その意味が何年後芽吹くかもわからない。あの真っ直ぐな目をした男の子がどう感じたか、とても気になるところでは、ある。
ただ、少しでも将来迷った時に考える取っ掛かりなかなれば、こんなに嬉しいことはないと思う。マスク越しだが、その気持ちだけは遮断されることのないように伝えさせてもらったつもりだ。
その真っ直ぐな瞳の先に、輝かしい未来が写っていくことを願っている。
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