太宰治『津軽』
日本海の漁師町、小泊に路線バスで
着いたときはすでに夕暮れ
なにはともあれ
太宰治と越野たけの像にむかった
太宰の小説『津軽』を手に
作家が古里を20日ほど歩いた
その足跡をたどろうと
津軽半島をまわった
大地主10番目の子であった津島修治は
2歳から6歳まで子守のたけが
母親代わりであった
が、あるとき育ての親は姿を消してしまう
『津軽』は、自分さがしの自伝小説で
山場は たけとの30年ぶりの再会だ
「修治だ」 私は笑って帽子をとった
「あらあ」 それだけであった
たけはそれきり何も言わず、きちんと正座して
そのモンペの丸い膝にちゃんと両手をおき
子供たちの走るのを熱心にみている
けれども、私には何の不満もない
まるで、もう安心してしまっている
足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て
胸中に一つも思うことがなかった
…しばらくたってたけは
まっすぐ運動会を見ながら
肩に波を打たせて深い長い溜息をもらした
たけも平気ではないのだな、と……
1994(昭和19)年春
たび重なる心中さわぎで
実家と縁遠くなった太宰が
流行作家で名をなし、病の母たねを見舞って
古里とよりをもどした
津軽にあそんで幼なじみなど
昔の仲間と酒をくみかわし
この名作が生まれた
戦時下とは思えない田舎ののどかさが
伝わってくる
名作『津軽』執筆からわずか4年後
愛人と入水、39年の生涯を閉じた