ライカよもやま話
25年ほどまえ、ドイツはハンブルクの街角。
暗がりにライカM6をおとしてしまった。レンガの舗道に落下しガチッと音がして底蓋の角が凹んでいた。レンズの鏡胴にも傷がある。おそるおそるフィルムを巻きあげ、翌朝カメラ屋にとびこんだら、ちゃんと動くよ、と。
港町ハンブルグの路地裏を歩きまわりスナップを撮ることができたのは、頑丈でなかなか故障しないライカのおかげであった。ドイツ製品の堅牢さとそれへの信頼がある。
1910年代、ドイツのオスカー・バルナックが小型カメラの原型を発明し、のちに二重合致式の距離計を内蔵したレンジファインダー・ライカを世にだし喝さいを博した。
戦後、光学技術に秀でた日本のカメラメーカーは、ライカタイプの距離計をめざし改良するもライカを超えることができず一眼レフに活路を見いだした。
ライカは機械式にこだわり世に遅れたかに見えるも、スナップカメラとしての評価は今も高い。
これには、スナップによる「決定的瞬間」の作品をのこした伝説的なライカ遣い、アンリ・カルチェ・ブレッソンや木村伊兵衛などの存在が大きい。
大雑把にいえば、M型ライカはシンプルなカメラ。絞り、シャッター速度、ピントも全て手動だ。
2006年、僕は時代の流れかライカもアナログからデジタルへ舵を切った。だが、ピント合わせは手動のまま。
デジタルカメラは進化し高性能化が行きつくところまで来ている。
極言すれば、人間が撮るのではなく、カメラが撮っている。
そんな時こそアナログの味をのこすライカはシンプル且つ人間的で味わいぶかい。
函館山のふもと西部地区を歩きまわると、この街の幕末から明治大正にかけての歴史、文化、街の佇まいにひきよせられる。
米英仏露などと行き来した古い開港場の残り香がただよっている。しかも、その土俵はひろく、ふかい。
この街には、ライカでスナップを撮るよろこびがある。