見出し画像

高田屋嘉兵衛

小学生のころ
先生から物さしでゴツンと
頭をたたかれた
こんなえらい先祖をもつのに何だ
いたずらっ子のおまえは! 

戦前の修身の教科書に
高田屋嘉兵衛が登場したのだ

名高い初代をもつのも迷惑さ と
高田屋の七代目高田嘉七さんは
笑い飛ばした

七代目・高田嘉七                              函館 2005

240年まえ 淡路国にうまれ
水主 やとわれ船頭から身をおこして
一代で天下の豪商となった嘉兵衛は
いまでも通用する先進的といえる
経営哲学の持ち主であった

高田屋嘉兵衛銅像 顔かたちが7代目・嘉七にそっくり 函館  2019

持ち船の難破は
一隻もなかったほどの安全運航

保険がないころ
船が沈めば船も積み荷も人も失い
大きな損失となるが
無事な航海一回で
船一隻建造分の利益をうむことも

仕入商品の昆布に等級と量目を
明示し品質管理を徹底

これによって 高田屋の商品は
信用をかちとり
検品なしで
全国に流通した

高田屋嘉兵衛                     函館市中央図書館蔵

嘉兵衛の死から6年あと
二代目のころに
ロシア船との密貿易などの疑いで
幕府から不動産をのぞく動産すべてが
没収となった
千石船450隻も

このとき
箱舘の高田屋か 高田屋の箱舘か
といわれた箱舘は
いっぺんに不景気となり
火の消えたようになったという


「高田屋旧蔵・箱館絵図」(1830~40年ころ)
港の左側に出島のように突き出た高田屋の築島     舟の修理などが行われていた
函館市中央図書館蔵


嘉兵衛は もうけを
船と商品の再投資にまわすとともに
社会に還元している

函館山の植林 シジミの養殖  失対事業
凶作にそなえた米の備蓄など
良く儲け良く散ずるの風があった

商売さかんとなっても
綿服を着て 番茶しか飲まず
一汁一菜の粗衣粗食を
生涯とおした


*2020.2.23 nippon.comに投稿したコラムを編集 


 

いいなと思ったら応援しよう!