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高田屋嘉兵衛
小学生のころ
先生から物さしでゴツンと
頭をたたかれた
こんなえらい先祖をもつのに何だ
いたずらっ子のおまえは!
戦前の修身の教科書に
高田屋嘉兵衛が登場したのだ
名高い初代をもつのも迷惑さ と
高田屋の七代目高田嘉七さんは
笑い飛ばした
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240年まえ 淡路国にうまれ
水主 やとわれ船頭から身をおこして
一代で天下の豪商となった嘉兵衛は
いまでも通用する先進的といえる
経営哲学の持ち主であった
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持ち船の難破は
一隻もなかったほどの安全運航
保険がないころ
船が沈めば船も積み荷も人も失い
大きな損失となるが
無事な航海一回で
船一隻建造分の利益をうむことも
仕入商品の昆布に等級と量目を
明示し品質管理を徹底
これによって 高田屋の商品は
信用をかちとり
検品なしで
全国に流通した
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嘉兵衛の死から6年あと
二代目のころに
ロシア船との密貿易などの疑いで
幕府から不動産をのぞく動産すべてが
没収となった
千石船450隻も
このとき
箱舘の高田屋か 高田屋の箱舘か
といわれた箱舘は
いっぺんに不景気となり
火の消えたようになったという
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港の左側に出島のように突き出た高田屋の築島 舟の修理などが行われていた
函館市中央図書館蔵
嘉兵衛は もうけを
船と商品の再投資にまわすとともに
社会に還元している
函館山の植林 シジミの養殖 失対事業
凶作にそなえた米の備蓄など
良く儲け良く散ずるの風があった
商売さかんとなっても
綿服を着て 番茶しか飲まず
一汁一菜の粗衣粗食を
生涯とおした
*2020.2.23 nippon.comに投稿したコラムを編集