ロマネ・コンティ1945
ネットで遊んでいたら、
ロマネ・コンティが1億2千万で売り出されていた。
その高額に腰を抜かした。
さらに、1945年生れでなんと71年もの。
これで腰がくだけた。
世界大戦が終わった1945年、稀なる好天気でぶどうの出来は最高。
空前絶後の当たり年にロマネ・コンティは、たったの600本。
そのなかで、いま1億円ほどの3リットルボトルは2本だけ作られ、
その1本が妖怪のごとく日本に現われた。
「わいんばー・ギンザ」。
銀座コリドー街で営んで開業35年、ワインバーの草分けだ。
じつは、このバーで伝説的なロマネ・コンティ1945と出会えるのだ。
空ビンだが、拝むことにしている。
ふた昔まえ、男7人組が持ちこんだ。
皇帝たるロマネ・コンティ1945を頭に、王子たちラ・ターシュなど4本。
〆て200万ほどで手に入れたとか。
コルクを抜いたとき、店いっぱいに芳醇な香りが満ち満ちたという。
どんなに血筋や年がよくても、ワインは開けてみるまでわからない、
ことにブルゴーニュはそうだねと云いながら、
小説家はロマネ・コンティを一口ふくみ「いけねえ」。
相棒の会社重役も「ああ!」
開高健の短編小説『ロマネ・コンティ1935年』のひとこまだ。
1935年生れのロマネ・コンティは37年間、ビンのなかで眠りこけて、
艶やかでエレガントなグレース・ケリーが現われると思いきや、
うつろな酒のミイラとなって世に出てきた。
小説家は開高健、重役はサントリーの佐治敬三がモデルとか。
20年ほどまえ、ロマネ・コンティの畑から歩いて10分ほどの掘立小屋で
地酒を飲みくらべたことがあった。
王子・リシュブール6年ものとヴォーヌ・ロマネ13年もの村ワイン。
王子は若すぎて蕾のままでかたく、
村ワインは飲みごろのピークは過ぎるも、王子よりはるかに美味しかった。
この1本3千円の村ワインと出会ってから、
4千軒ほどのブルゴーニュの作り手のなかで、
高価な銘酒をとばして手ごろな良酒探しを楽しんでいる。
外れもあるがたまに当ると望外の喜びとなる。
71年も眠りこけた億円ロマネ・コンティは、歓喜をよぶのか、
ミイラか。
これだけは栓を抜かねばわからぬ。