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(小説)#2 「Re, Life 〜青大将の空の旅」(読み上げ音声あり)

第1章  とみ爺の家の青大将 ①

青大将と志津ちゃんの邂合かいこう

 久しぶりに裏山から滑り降りて、とみ爺の家に来てみると、志津ちゃんがいる。
(久しぶり、志津ちゃん)
おいらは、とみ爺の家の青大将。
集洛のみなは “屋敷まわり”と呼んでいる。くちなわのことだよ。
(よくきたネ、志津チャン)

 おいらが志津ちゃんと出会ったのは志津ちゃんが4歳の時さ。とみ爺の連れ合いクマ婆ちゃんが病んで寝込んでしまった時だ。母さんに連れられて、とみ爺の家に看病にやってきたのだ。
 

 とみ爺は、牛と鶏とまず生き物の世話をする。
牛を使って畑を耕す。堆肥小屋をかき回して肥料作る、と働き詰めで休む暇がない。それに、とみ爺の家は水の便が悪いンだ。夏場は屋敷の入り口にある井戸は涸れてしまうので水くみが大仕事だ。とみ爺は連れ合いの体を拭いてやることもできず、洗濯もできずと、家中は見るも無惨な有様でネ。とみ爺は、一番近くで世帯を持っている娘、モミ母さんにSOSのハガキを出したのさ。「モミ、助けてくれ」と、一行。

 とみ爺とは、山田冨五郎。クマ婆とは山田クマのこと。山田家は、西の浜の崖の上に先祖代々の家屋敷がある。
とみ爺クマ婆はたくさんの子供を授かったが、大きくなったのは4人だけ。
長男は家業の農業を嫌って、学校を出るとすぐ東京へ行ってしまったよ。
一度、大陸で世帯を持ったと便りがあったがそれっきり。行方不明さ。
長女は長崎市内の紡績工場に勤めていた時、野母のも半島(長崎半島)の人と知り合い、結婚したんだ。手広く農業をしている家で、働き手として期待されたよ。子供が立て続けに生れたネ。大変な状態になっていたネ。
その次がモミ、モミ母さんだ。いずれ詳しく話すことにするよ。
モミの弟は、漁船に乗っていて、時に遠くまで漁に出向き、滅多に長崎の港には帰らない。末の妹は、学校を終わると奉天ほうてんに渡り、日本人の経営する会社に雇われて頑張っていたよ。

 長崎市内で世帯を持ったのがモミ母さんだったよ。
椿の里に一番近かったネ。とみ爺からのSOSのハガキを受け取った時、モミ母さんは、3人の子持ちだったんだ。連れ合いを残して、3人の子を引き連れ、はるばる看病に行くことになったということだ。
思えば、これが、モミ母さんの苦難の始まりだったネ。
おいら、モミ母さんと一緒にいる志津ちゃんから目が離せなくなったよ。



(    #3  第1章 ③ へ続く。お楽しみに。)



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(読み上げ音声)


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