『なつかしい思い出、今と昔いろいろ』田嶋 静(タジマ シズカ)

ふるさと長崎の思い出を中心にエッセイやオリジナル小説を更新。 「猿簔」を手本にかな書道を練習する日々。そんな日々の中時々、忘れかけていた懐かしい故郷の言葉をみつけ幼少期を思う。その言葉たちを辞書で丹念に調べ「寄り道、迷い道」し、エッセイや小説を綴る。

『なつかしい思い出、今と昔いろいろ』田嶋 静(タジマ シズカ)

ふるさと長崎の思い出を中心にエッセイやオリジナル小説を更新。 「猿簔」を手本にかな書道を練習する日々。そんな日々の中時々、忘れかけていた懐かしい故郷の言葉をみつけ幼少期を思う。その言葉たちを辞書で丹念に調べ「寄り道、迷い道」し、エッセイや小説を綴る。

マガジン

  • (オリジナル連載小説)うぐいす館から「ホーホケキョ」

    高齢者住宅の仲良し3人の食卓での話題を中心に、「ホーホケキョ」と題してお送りするほんのりなごむようなエッセイ風オリジナル連載小説です。今と昔を比べてみたりちょっと懐かしいふるさとのことも飛び出します。

  • (エッセイ)猿蓑 〜迷い道・寄り道 まとめ

    〈ふるさと長崎の思い出を綴ったほのぼのエッセイ〉猿蓑 〜迷い道・寄り道【まとめ】コロナ禍で休塾となり、作者は「猿蓑」を手本にかな書道を練習する毎日を過ごす。そんな中、書籍「猿蓑」の中に、頁をめくる度、忘れかけていた懐かしい故郷の言葉をみつける。その言葉たちを辞書で丹念に調べ書き留めて行くことを「寄り道、迷い道」と作者・田島 静は呼んでいる。

  • (小説)笈の花かご

    この物語の主人公は、帷帳登子。 ある日、主人公が、ヒヤリとする出来事に遭遇したことから、トバリが開く。そのトバリの奥から、「アレマア、オヤマア」と、驚きあきるばかりに、老いの数々が、怒濤の如く、吹きだして来る。 2人は、住み慣れた家で暮らしていくか、老人ホームに入居するかという選択に直面する。近くに、親戚、友人もいない暮らしを重ねて、次第に老いていくスイデンとイチョウ。

  • 【小説】「春嵐」全12話完全無料

    多川節子は、高等学校卒業後の進路に 東西医科大学附属の看護学校を選んだ。 その時の進路指導の教師の言葉が、 多川節子の耳に焼き付いている。 彼はこう言った。 「看護婦の社会的地位は低い」と。 そうだろうか? 医療職の学びは、人が生れ、生きて、やがて死ぬ という修羅場を理解することにある。 節子は、助産婦として、 生命の誕生という分野に身を置くことになった。 パートナーとなる医師とも出会うが、 黄砂まじりの春の嵐が彼女を襲う。 さて、さて、どういうことになるでしょう。……

  • 田嶋静エッセイまとめ

    田嶋静 普段はオリジナル小説を連載しています。ほかに日々のつぶやきなどをたまにエッセイとして書いています。

最近の記事

(小説)#1 うぐいすの館から、ホーホケキョ 「暗算が出来ない」

うぐいすの館は午後3時、お茶の時間である 3階食堂の窓際のテーブルに、堤 梅子(97歳)が着席した。少し遅れて、今道 武子(90歳)、金田 冨子(86歳)がやってきた。 梅子は、少し猫背であるが杖なしで歩いている。武子は車いすを自分でこいでいる。冨子はシルバーカーをゆっくり押してくる。 それぞれ、紅茶、コーヒー、緑茶をスタッフに頼んだ。 「近頃、暗算が出来なくなったわ」 紅茶をゆっくり飲み干した堤 梅子が呟いた。 「へー、暗算が出来ていたの。何歳まで?」と、武子が訊いた。

    • (小説)#0 うぐいすの館から、ホーホケキョ「はじめに」

      はじめに うぐいすの館は、高齢者が暮らす施設である。 正式名称は「介護付き有料老人ホーム・晩鶯館」である。命名の経緯や、建物の規模などは、この稿の終わりに、参考として記している。興味ある方はご一読下さい。 うぐいすの館の入居者は、配偶者に置いて行かれた独り者がほとんどである。従って女性が多い。 「お母様、素敵な所があります」と、長男の嫁がパンフレットを持ってくる。長男も、「いいところのようだ。見学に行ってみるか」などと、乗り気である。「私も安心して、仕事にいくことができ

      • 3つの墓参りの話:幼き日の祈りから70年後、母と祖父母の思い出をたどる道

        プロローグ これまで、祖父母の眠る墓に、何回もお参りして来た。 そのうち印象深いお参りが3度ある。 はじめて行った6歳の時の母と一緒の墓参り。 そして、小学6年生の時、母に頼まれて行った一人きりの墓参り。 3つ目が、70歳の墓参りである。 6歳の時の墓参りは、出征した父の無事を祈る、母の切ない墓参り。 2回目、小学6年生の時は、祖父母の彼岸の地での幸せを願う、母の思いが託された墓参りであった。 最後は、いずれ行く道と悟った私の祈りの墓参りであった。 3つとも強い記

        • 思い出: 椿の里に琵琶法師がやって来た

          父祖の地・椿の里の人々は、精霊流しが終わると、収穫の時まで、しばしの間、農作業から解放される。 それを見計らったように、椿の里に、琵琶法師が訪れたことがある。 それが終戦の年であったか、記憶は定かでないが、敵機の来襲に怯えていた覚えはないし、父は戦地から戻っていなかったから、1945年のことで、私はその時7歳であったようだ。 ある日、里長の爺様が、椿の里に琵琶法師が来ると触れ回った。私はすぐに母を質問攻めにした。 「琵琶法師ってなに?」 「枇杷の形をした楽器を演奏し

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        • (オリジナル連載小説)うぐいす館から「ホーホケキョ」
          2本
        • (エッセイ)猿蓑 〜迷い道・寄り道 まとめ
          19本
        • (小説)笈の花かご
          56本
        • 【小説】「春嵐」全12話完全無料
          13本
        • 田嶋静エッセイまとめ
          1本
        • (小説)Re, Life 〜青大将の空の旅
          20本

        記事

          椿の里の思い出と精霊流し〜遠い日の祈り

          8月15日は、終戦記念日である 1945年、日本の国は戦いに敗れた。 私はその時、6歳、小学1年生(正確には、国民学校)でした。 思えば、長い年月が過ぎ去ったものだと感慨無量である。 日本の民は、太平洋戦争という国難によって、あったら*1 幾多の命を奪われた。 長崎では、8月の盆の行事は精霊流しで終わる。 迎え火を焚いてお迎えしていたご先祖様の御霊を、精霊船で、西方浄土にお送りする日である。 長崎の盆の伝統行事である。 さだまさしの歌『精霊流し』*2で、それを知った方

          どたばた東京物語「ボサーマー!」響く故郷の言葉〜戸惑いながら強く生きる母の姿

          プロローグ 「ボサーマー」とは、母の里言葉である。 びっくりして思わず大声を上げて発する言葉であるらしい。 母のお里は、当時、陸の孤島と言われていた長崎県西彼杵郡の集落・椿の里である。 母はこのボサーマーを、あろうことか、東京は浅草の地で上げてしまった。なぜ、浅草の地にいたのか。ゆるゆるとその経緯をお話しましょう。 幻の兄様 母には、年の離れた兄様がいた。 母が大正3年の生まれであるから、兄様は、明治の生まれである。 私は勿論、会ったことがない。 母から話で聞くばかりの

          どたばた東京物語「ボサーマー!」響く故郷の言葉〜戸惑いながら強く生きる母の姿

          母の焼き芋の香りとカンコロの思い出

          プロローグ 薩摩芋の一番うまい食べ方は、焼き芋ではないでしょうか。 九里四里うまい十三里といって、江戸の昔から珍重されたようです。 今では、アルミホイルに包んで、オーブントースターで簡単に焼き芋が出来る。電子レンジでもホクホクの焼き芋が出来る。 かつて、焼き芋となると決まって登場するのが、竈であった。 1944年、祖父母はすでに亡く、「とみ爺の家」と呼ばれる空き家だけが残っていた。その祖父母地である椿の里に疎開した。 そこの土間には竈が設えてあった。 母は、これを

          「へぐらし、へぐらし」〜黄昏時、母の記憶

          (プロローグ) 発端は、きびすである。 
「猿蓑 集之六 幻住庵記」(*1)の文中に、
 「……北海の荒磯にきびすを破りて」(*2)とある。 
「きびすを返す」と、いう言葉に出会っているので、辞書に当たる必要はないと思ったが、念のため辞書を取り出した。


 「きびす」が、西日本地方で使われている言葉と知り、母の使っていた言葉「きびしょ」という、似た、懐かしい言葉を連想した。 さらに、母の使っていた言葉が次々と広がって行った。 「きびしょ」 「きびしょ」とは、急須のこ

          トラミ兄ちゃんのメジロ捕りと懐かしき日々

          この章に登場するのは、マキセトラミである。 トラミは、とみ爺の家の牛小屋に疎開してきた家族の1人で、私より2歳年上のお兄ちゃん。初めはトラミ兄ちゃんと呼びかけた。 仲良くなると、トラミと呼び捨てとなった。 トラミ兄ちゃんは、引っ越して来るとすぐ、近くの山を見て回った。 どこからか、竹を切り出してきて、籤を作り、アッという間に籠を作った。目白籠である。 そして、自宅の前に座って、何やら口に入れてく噛み続けている。 しばらくすると、取り出して、細い木の枝にそれを巻き付けた。 ト

          風に舞う、遥かな夢。イカノボリ 

          (あらすじ)長崎のハタ揚げと俳句の情景 春風に乗って舞う『ハタ揚げ』。長崎の風景を彩る大人たちの遊び。長崎の伝統的なハタ揚げの文化と、イカノボリに関連する俳句の描写を含んだエッセイをお届け。 長崎のハタ揚げの魅力を語る イカノボリ(凧揚げ)の話です。 長崎では、ハタ揚げという。 古くからある大人の遊びである。 長崎のハタ揚げ大会は、風頭公園や唐八景公園の地で行われる。 5月ごろ、天候がよく、適度な風が吹き上がってくるとハタ揚げ日和となる。 私は、遠足などで風頭公園に来

          はじめての海鼠 〜祖父母と触れ合い、そしてお別れ〜

          (あらすじ) 大人になった私からの語りかけ 椿の里の自然、とみ爺との触れ合い 私が4歳になってすぐの時、母は、私と2歳下の妹、弟(生後6ヶ月?)を連れて、ハツ婆(母の母親)の看病のために実家に行くことになった。 ハツ婆は寝たきりになっていた。 祖父・とみ爺はひとりで、農作業に精をだし、煮炊きをして、その日その日を暮らしていた。 朝、牛はモウモウと鳴いて餌を催促し、ニワトリ数羽は 「小屋から出してくれ」 と鳴いて騒いだ。 とみ爺は、まず動物達に餌やりをして、そのあと、自

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          果実香る豊かな自然「カンコロ飯・ヒバ汁・高お膳」母の口ぐせ。人生に与えた幸せとは?

          (あらすじ)幼い頃、家の周りや浜辺を歩き回り、食べられるものを探し求めていた。特に、甘いおやつを楽しみにしていた。家の裏手にある干し櫓(やぐら)の近くに、毎年「イタブ」と呼ばれる小さな実をつける一本の細い木があった。熟れると赤くなり、口に入れるとホロ甘い味がした。 幼い頃は他にも自然の中でたくさんの食べ物を楽しんだ。微かに甘い実やとても酸っぱい果実もあったが、どれも懐かしい思い出だ。戦争も経験したが、魅力的な疎開地での幸せは大きかった。そんな体験エッセイです。 休み休みな

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          竈(おくどさん)と灰だらけ猫 〜疎開から戦後まで家族との日常の温かな記憶

          (あらすじ)子供の頃、疎開地での竈(おくどさん)のある暮らし。猫という身近なものを通して、戦後の困難な時代の中でも日常の中で育まれた人の絆を伝えるや温かい思い出エッセイ。 竈(くど、へっつい、かまど)の話である 「竃」の筆順が、どうなっているかなと気になった。筆順は、結構ややこしく、モタモタすると字の形が整わない。何度も練習した。筆の大きさを変えて練習することもした。「竈」の読みは「くど」。 母は「おくどさん」と呼んでいた。 筆順の稽古をしている内に、「竈」に懐かしいもの

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          疎開の思い出エッセイ。母のつぶやき「かんだんなか…」。伊勢エビのおやつ。

          (あらすじ)父の出征中、豊かな自然に囲まれたふるさとへ疎開した。ひとり奮闘するたくましい母。しかし時折「かんだんなか……」と母はため息まじりに呟く。 質素な食事が続く毎日、たった1度だけ突然おやつに伊勢海老が登場した。戦後ふるさと長崎での暮らし、母の思い出、当時の食べ物の記憶。楽しくもあり、ほろ苦くもある懐かしい思い出をたくさん綴った田嶋 静の寄り道・迷い道エッセイです。 椿の里へ疎開 1944年、父の出征後、戦禍を避けて、母と妹の3人は、母方の祖父母の地・椿の里に疎開し

          疎開の思い出エッセイ。母のつぶやき「かんだんなか…」。伊勢エビのおやつ。

          #6 第3章(2) 「はやり病」

          前回、第3章(1)で、「朸(おうこ)」から寄り道をした。第3章(2)では、そのおうこで汲み上げた水の続きで、椿の里に起きた出来事を語る。 椿の里に、はやり病 父が出征して、母の実家、椿の里のとみ爺の家*1 に、留守家族3人が疎開した。井戸とランプの生活が待っていた。あろうことか、椿の里に、はやり病が発生した。赤痢の流行である。扇状に広がる集落の要の所にある【 涸れずの井戸 】が原因ではないかと噂された。集落中の生活排水が下がっていき、その井戸に入り込んだのではないかと疑わ

          #5 第3章(1) 「おうこ」

          今日の一句 まねき まねき あふこの先の薄かな /凡兆    猿簔集 巻之二 夏 俳句を半紙に散らし書きすることを今でも続けている。 俳句の語句に釘付けになり、筆が進まなくなることが時々、ある。 今回は、上記の凡兆*1 の句に出てくる「あふこ」で、筆を擱いて寄り道することとなった。「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著 に出てくる俳句である。 「あふこ」とは、柴売りの柴を担う棒であると、幸田露伴は言っている。 私はこの句の「あふこ」に注目した。 (「あふこ」とはいったい……どこ