
④【伊藤貫の真剣な雑談】「プラトン哲学と国家の独立」文字起こし
僕は非常に非文化的な人間なんですけれども、それにも関わらず自分のことをクラシカルコンサバティブだと思っておりまして、人類のことを考えると、過去2500年間に、人類の文明でやっぱり質の高い、質の良い文明規範というものがあったと。もしくは質の良い考え方があったと。それが僕は4つあったと思うんですね。
それは、西洋世界ではギリシャ哲学、それからギリシャの科学。それからキリスト教文明。それから東洋世界では仏教と儒教と。この2つがアジアを代表する文明の規範だったと思うんですね。
ギリシャ文明圏というのがありましたよね。それからキリスト教文明圏というのがあって、仏教文明圏、儒教文明圏というのもあったんですけれども、それ以外の文明圏というのはやっぱり非常に小さなものだったし、それから永続性のあった文明規範というのは、ギリシャ哲学とキリスト教と、それから仏教と儒教だと思うんですね。
僕はこの4つの流れを、人類の文明の4つの源流という風に考えておりまして、この4つの源流は、多分、世間では笑いものにされると思うんですけれども、僕はギリシャ哲学とキリスト教の神学、要するに一番コアになる神学的な考え方。それから儒教と仏教のコアになっている、中核になっている思想というのは、21世紀になっても7割ぐらい正しいんじゃないかと。
もちろん3割はね、古臭い迷信に過ぎないとか、あんなのフィクションに過ぎないとかいう風に言って笑い飛ばせるんですけれども、やっぱり7割ぐらいは正しかったんではないかと。
儒教と仏教とギリシャ哲学ができたのは今から約2500年前でしょう? 先ほど申しましたように、18世紀後半の啓蒙思想の時代になってこういう古い思想を笑い飛ばして、人間の欲望を、人間の欲求、それから人間の権利を前面に押し出す啓蒙主義が一番正しいんだと。キリスト教、儒教、仏教なんていうのは古臭いと。
ソクラテスとプラトンも古臭いという風な考え方が出てきたわけですけれども、そういう風に人類文明の4つの源流をそう簡単に貶めるような態度というのは、僕は過去250年間の人類の思い上がりなのではないかという風に考えているんですね。
でなぜそういう風に思い上がるようになったかっていうと、やっぱり科学技術の発展なんですね。科学技術が進んで、もちろん経済生産性が上がるわけですが、それからすごく便利になりますよね。で、便利になって、それで生産性が上がると、人間は、自分たちの好きなように世界を変えられるという風に思い込んで、クラシカルなバリューシステムとかクラシカルなカルチャーよりもどんどん革新していけばいいと。どんどん変えていけばいいと 、変化を重んじるようになるわけですね。
そういう考えがわからないではないんですけれども、変化を重んじて、技術革新を重んじるたびに、人間の殺傷能力というのはどんどん増えてきまして、最近、アメリカとロシアが実質的に戦争を始めましたから、ワシントンに住んでいると、アメリカとロシアが核戦争する確率がどのぐらいあるかだとかね、核戦争するとしたらどういう風に始まるかとか、みんなそういうこと言ってるわけですよ。(笑)
僕には科学技術の進歩によって人間が振り回されているようにしか見えないし、一旦、米露が核戦争を始めれば、これは少なくとも数千万人。もしかしたら数億人死ぬわけですよね。
そういうことまでやるようになった人間っていうのがどれほど賢いものかと。しかもそういう事態になっても、もう一度言いますけれども、アメリカ政府の国務省とCIAは、もしかしたらまた核戦争が起きるかもしれないけれども、中国と北朝鮮とロシアの核ミサイルのターゲットになってる日本人にだけは核を持たせないと。こういう風に国務省とCIAとペンタゴンは決めてるわけですね。非常に不道徳なわけでしょう?
しかも、日本が核攻撃の犠牲となっても、アメリカがそれを理由に北朝鮮、中国、ロシアと核戦争するってことはあり得ないわけですよ。それにも関わらず、アメリカ政府は日本人にだけは核抑止力を持たせないと。
こういうグロテスクなまでに不道徳な政策を日本人に押し付けていて、アメリカ人は、少なくともアメリカ政府の官僚はケロッとしてるわけですよね。
こういうのを見てると、人間の道徳的な判断力というのがどれぐらい進歩したんでしょうかと。むしろ、17~18世紀の方がマシだったんじゃないかと。もっと言えば、プラトンとかアリストテレスが生きていた時代の方がもう少しまともだったんじゃないかとね、そういう風にも思うわけです(笑)
とにかく僕はそういう理由で、過去200年なり250年間の文明の、確かに科学技術は進歩したけれども、人間の価値判断能力がどれほど進歩してきたかどうかは疑問であると。
で、今からプラトン哲学の話に行きますね。

プラトンとか、ソクラテスもそうなんですけども、ソクラテスとプラトンの関係っていうのは非常に面白くて、ソクラテスはプラトンの先生だったわけですけれども、ソクラテスというのはとっても奇妙な人で、非常に立派な人なんですよ。

しかも、すごく、ちょっと滑稽なところのある人でね、あのね、 プラトンとアリストテレスってあんまりユーモアのセンスはないんですね。だけどソクラテスというのは非常にユーモアのセンスがある人で、やたらに勇気のある人で、もう体力がすごいんですよ。 体力強壮で、それでもう、戦争に行くとものすごく強いんですよ、ソクラテスっていうのは。要するに戦場ではまさに荒武者という感じでみんなを驚かすような戦闘ぶりを示すんですけども、非常に茶めっ気があって、 皮肉言ったりみんなを笑わせたりするんですね。
彼は変人で、物を書きたがらないんですね。議論にはものすごく強いし、喋るのも非常に表現力豊かなんですけれども、しかし、結局1冊も本を書かなかったんです。
で、ソクラテス先生の言ったことを色々思い出しながら、あのいわゆる「プラトンの対話集」を書いたのがプラトンなんですね。
弟子のプラトンはソクラテスの登場する対話集っていうのを25~28冊ぐらい書いてるんですね。もちろん後半のプラトンの対話集っていうのはソクラテスが出てきますけれども、その考えの7割か8割はプラトンの哲学感で、初期のものは逆に7割か8割がソクラテスの考えをそのまま述べたものなわけです。
「Internet Archive プラトン全集 : Free」
ソクラテスの弁明、国家、その他読めます。
僕がソクラテスとプラトンが非常に好きな理由は先ほど言いました2つのMとミーニングオブライフ。それからミッションオブライフ。
生きる意味と、それから生きる使命ですね、生きる任務。何をやらなければいけないかというのをこの2人は非常に素直に正直に喋ってくれるんですね。しかもレベルが高いんですよ。レベルが高いんだけれども、言葉遣いが 普通の言葉遣いで喋ってくれますから、とってもわかりやすいんですね。
で、 逆に19~20世紀の哲学者っていうのは、一見すごく知性溢れる世界の分析と、それから、文明の分析ということをやっているように見えても、そういう人たちの本を読んでも生きることの意味とか、生きることの任務とか、やらなければいけないこととかいうのは出てこないんですよ。
一番ひどいのが最近 50~60年流行ってきたポストモダンでポストモダンの本なんか読んでると、非常にシニカル(冷笑的)で無気力になって、現代世界をせせら笑うということをやるだけで。もっと単純に言っちゃいますとね、ソクラテスとプラトンは非常に 道徳的なんですけれども、それと同時に非常に男らしいんですよ。で、非常に強い責任感があって勇気があって男っぽいんですよね。
逆にポストモダンの連中っていうのは、なんというか、距離をとってせせら笑うような、冷笑するようなあの態度があって、彼らの議論をいくら読んでもミッションオブライフというようなあの感覚は出てこないんですね。
むしろ傍観者(onlooker)もしくバイスタンダー(bystander)という感じで、現代文明の無意味さを嘆いてみせるというポーズしか取れないわけですね。もしくは何か良心的な態度をみんなに切々と訴えるというような形で、哲学としての健全性って言うんですか、やっぱりあるんですよ。健全性を備えた哲学と、健全性の欠けた哲学と。
サルトルなんかはもう典型的で、もう健全性っていうのが全然ないわけですね。せせら笑って….もちろん彼は秀才ですから、秀才風の説明してみせるんですけれども、生きる意味とか生きがいとか、それから生きるミッションですね。生きることに対するミッションの感覚というのが出てこないわけです。