見出し画像

(4) それぞれが稼働し始める、5月(2025.1月 改訂)


 五箇山の合掌造りの家を出て、田植えが終わったばかりの自分の家の田んぼを見ながら、カリアの家へ向かう。
沖縄から帰って数日が経ち、温度差にも漸く慣れてきた。富山の山間部の朝晩は5月はまだ冷える。村から見える霊峰白山は雪山の様相だし、高校の有る富山市内から見える劔岳を始めとする北アルプスは、未だ白銀の世界だ。 
制服の上にネイビー色のスプリングコートを羽織り、スカートの下は黒タイツを纏っていた。日中の気温はそれなりに高くなるので、授業の合間に学校のトイレでタイツは脱いでしまうが、冷気の漂う朝方は、相応の耐寒性が求められる。

ブルネイ大使館が購入したカリアの家は合掌造りではなく、日本ならではの中古プレハブ住宅だ。現在は母親の王妃と3人の侍女と5人で暮らしている。
家屋のセキュリティ担当のプルシアンブルー製のバギー車両が、”近所の杜あゆみ”であるのを映像判定して、パスワード入力を要求してきた。
8桁の父親の誕生日を西暦から入力すると、敷地内へ入る許可が得られる。同時に、あゆみの到着が家の中の人々に告げられる。ドアをノックしたり、呼び鈴を押す必要がないので、広い庭を兼ねた敷地内に停車している2台の高級車の前あたりで佇みながら、庭の育ち過ぎた蕗の薹や咲き始めたヤマツツジを愛でていた。

杜あゆみは家と学校の往復手段を、クラスメートのカリア王女に依存している。兄達と同じ高校へ通っているものの、王女であるカリアを富山知事と富山市長の車に乗せるとなると不都合が生じる。そもそも、カリアを「知事と市長の家族」として認定出来ないし、王女であるカリアの警備に対して日本の地方の役所が対処できなかった。それは麻布のブルネイ大使館側も百も承知しており、単独で通学する必要がある。
とはいえ、カリアも一人は寂しいので「一緒に行こう」とあゆみを誘い、共に通うようになった。祖母と母に割り当てられた国産ワンボックスカーよりも、ドイツの高級セダン車の方が乗り心地が断然良いので、あゆみ自身は満足していた。 

カリアと侍女が出てきて、3人で乗車して発進する。
侍女が運転席に座ってハンドルを握るものの、AIナビ”Eileen”の運転で高校へ向かう。一部高速を使い、車で約35分程度の道程となる。
車が発進すると家屋で充電待機中だったドローンが飛翔し、高度千メートル上空を飛びながら車を追う。五箇山インターから高速道に入ると、暫くはトンネルが連続するのでドローンは山を越えながら車を追う。トンネル内での警備体制が今後の課題となるが、ドイツ車は要人仕様で防弾ガラスと相応の装甲で守られている。
富山空港に近いインターで高速を降り、富山笹津線を直進する。そのまま学校のある大町方面に移動するのだが、直に大きな住宅展示場が見えてきた。通りから「PB Home」のモデルハウスが見えると、カリアとあゆみが申し合わせた様に頭を同じ様に動かしながらモデルハウスを見送る。
ー昨日まで、青い衝立てで囲われていたので家が見えなかったのだ。        

「あれで850万円って言うのが、信じられないよ」と、カリアが言う。
五箇山の中古住宅を建て直すのを、カリアの母である王妃が決め、ブルネイ大使館が支払ったらしい。モデルハウスと全く同じ作りで「税抜き850万円をキャッシュで、しかも税金で買っちゃったんだって、」とカリアが言う。

「そもそもの基準が違う。横浜山手の豪邸を2件買って、五箇山の中古住宅を買って、沖縄でも家を物色中だもんね」とあゆみが思いながら苦笑いする。それに、ローンで購入しないなら、無償住宅の意味が無いじゃないのともあゆみは思っていた。しかし、ローン金利を知らないアユミは高校生ならではの浅はかさを発揮していた。 キャッシュで買えば、毎月十数万円の売電した額面が口座に振り込まれるのだから、7、8年で元が取れる計算となる。提携ローンであれば約15年掛かるので、支払額は850万円の倍近くに上る。

「横浜の家は建て直さないの?」カリアが聞いてくる。
戦時中の空襲を生き延びた大正時代に建てられた家屋だ。普通なら立て替え対象となるが、父も母も建て替えを全く考えていないのをあゆみは知っていた。2年前に耐震工事を施している。夫婦共に質素倹約を是とする、どケチな両親なのだ。国会議員と市長になっても、子ども達の小遣いは月5千円のままで、値上げ交渉に応じ様としない。学校帰りに富山市内のカフェや映画館に必ずの様に毎日誘ってくるカリアの裕福な懐事情に付き合っていると毎月赤字なので、祖母の富山知事に甘えて助力して貰っていた。

「ケチな夫婦だから、愛着があるとか、まだ現役とか何やら言い訳して、建て直さないと思う。あ!大森のおばあちゃん家は建て直すかもしれない。おばあちゃんは新しもの好きだから」

金森知事は自分のムラの田植えを全てAIバギーに委ね、村中で太陽光発電を始め、今は同じ様な過疎圏内での横展開を始めている・・

「でもさ、五箇山の家は建て直さないでしょ?」
「そりゃあ世界遺産だから、簡単にはいかないよ・・」
金森家は世界文化遺産に指定された合掌造り住宅なので、毎年補助金を受け取っている。住宅維持管理の対価だ。

2人が話していると、車は大町に入る。今度は新しくオープンした焼肉店「しらさぎ」が目に入ってくる。カリアがで今度行こうと毎度の様に誘ってくるのだが、いつも混んでいるので入るのを躊躇していた。ここまでは無駄金を使わずに済んでいるアユミにとって混雑・満員御礼は助かっていた。とはいえ、「和牛」の言葉は成長期の娘を誘う。
おまけにイスラム教徒のカリアにとって豚肉は駄目でも、牛肉は宗教上の禁忌対象から外れる。同店はPBマート系列の焼肉チェーン店で、富山店では飛騨牛のみを扱っている。
ロシアとウクライナからシベリア鉄道と輸送船でやって来る若い牛を、飛騨地方の牧場で育てて食肉としている。この畜産事業を始めたのもPBマートだった。 
カリアは思う。あゆみは常日頃ケチな両親だと言うが、そんな人が次々と事業計画を立てて矢継ぎ早にあれこれ事業をスタートさせるだろうか?石垣島と宮古島のリゾートホテルを買収するだろうか?ブルネイの王族の様なカネの使い方をしているではないか?と。 

校門の手前で車が停まると、2人が後部座席から降りる。いつの間にかドローンが2人の頭上を飛んでいて、校門に入るまで付いてくる。2人が校舎に近づくまで校門の上でホバリングし、安全を確認すると上昇しながら車の頭上を飛翔し始める。車が王女を迎えに来る時は、これとは逆の動きとなる。 

2人が教室に入ると、クラスメートが三々五々集まってくる。何事だろう?とあゆみが構えるが、直にカリアの発言が波紋を呼んでいるのが判明する。「夏には沖縄へ転校するかもしれない」と昨日発言したらしい。その点を早速問い質しにやって来たのだ。入学1ヶ月で、転校を口にするかね?とあゆみは首を傾げる。
恐らくカリア個人の意見ではなくて、新しい男に拐かされた王妃と侍女・従姉妹3人の意向が色濃く反映しているのだろう。しかし、そんな背景と真実を話すことはあゆみには出来ない。

「アユちゃんはどうするの?一緒に転校しちゃうの?」と、いきなり流れ弾を食らって動揺するが、カリアの転校に便乗しようと思っていた最中だったので、曖昧な回答に終止する。
誰もが父に魅了されてしまう。今回の連休中だけでも、初見のアジアビジョン社の香椎記者と息子の亮磨と恋仲になりたがっている久遠瑠華を虜にしてしまい、朝まで部屋に留まっていた。父がジゴロとホストの資質を兼ね備えているから、どうしてもそうなっちゃうのだよ・・なんて話が出来る筈もない。

「南国育ちのカリアには、沖縄の気候が肌にあったのかもねぇ・・」
と鼻と頬が薄っすらと赤く焼けたアユミが言うと、クラスの女子達が頭を抱える。富山で暑いのは真夏くらいだからだ。スキーとスノボーが趣味のカリアがスキー部に入ると言いながら、未だに入部を躊躇っているのも、高校生の癖に父に魅了されているからだ・・   

「アユが沖縄へ行っちゃったら、市長のママと知事のお婆ちゃまが寂しがるんじゃない?」やや痛い所を付いてくる者が居るのだが、笑って誤魔化すしかない。
「ワタシより、お兄たちが暫く居なくなるから、そっちの方が寂しいんじゃないかな?」 突然、女生徒達が凍りつく。
おや?まだ知らなかったのかな?とアユミは思った。

「居なくなるって・・お兄さんたち、何処に行っちゃうの?」
あゆみの実兄の歩の追っかけをしている女子が、真っ青な顔をして言う。 

「えっと、そうか知らなかったんだね・・ごめんねぇ、高3と高2の人達は知ってるだろうから、もう広まってるもんだと思ってた・・えっとね、オリンピックまでニュージーランドに滞在するんだ。開会式の前に日本に帰って来るんだって。五輪選手として選ばれなくても、サポートメンバーとしてチームに帯同するらしいよ。ニュージーランドチームの合宿先は金沢だからね」

「そっか、安心したよ・・でもさ、五輪開催まで授業はどうするの?」
「コロナ期間中のリモート学習を教材にして自習するんだって。1学期の期末テストをどうするのか、まだ決まってないみたい。高校生オリンピアンって日本だけじゃないと思うんだけど、各国ともどうしてるんだろうね。テストとか免除するのかな?」 
”五輪まで”と聞いてホッとした人々と、慌てて上級生のフロアに向かう女子達も居た。   

「2人とも五輪の観戦に行かないの?」
「えっとね、五輪は無観客試合って決まったから誰も入れないよ。テレビ観戦するしかないんじゃないかな?」

「そ、アユの言う通り。テレビだけだから沖縄でもいいの。みんなはキャンプ地の金沢まで応援に行ってあげてね」カリアが言うと、クラス内がお通夜の様な雰囲気になった。 

ーーー

大学の学生課に休学届を提出し、目黒区にある校舎を後にする。留学が決まれば、このまま中退扱いとなり、この校舎を訪れる事も無くなる。そう思うと少々後ろめたさを感じずには居られなかった。
大岡山駅まで戻ってくると、家に真っ直ぐ帰るのもどうかと思い、2駅先の自由が丘へ向かう。普段訪れない小洒落たカフェに入り、外出用の衣服を買おうと火垂は思い立つ。中高校生の弟達と同じ、スポーツウエアでは不味いだろうと思っていた。北海道では4人とも同じ格好で違和感無く過ごしていたのだが、亮磨兄から、「お前は大学生なんだから、ちょっとは着飾れ」と言われ、弟達には内緒でジャケットと靴を貰った。
それに合わせるシャツやパンツを調達しようと考えた。

自由が丘の駅を出ると、小さなバスロータリーにヒトが大勢いるので、慌ててマスクを取り出して装着する。しかし、火垂は大岡山駅から尾行されていた。            
「あれ?杜くんじゃないの、こんなところで偶然ね」背を叩かれて振り返ると、同じ工学部の須山望海だった。

「ん?須山じゃないか。講義はどうした?まさか、サボりか?」            工学部女子は圧倒的に少ないので、火垂でも名前を覚えていた。 

「それは、あなたもでしょ?」
構内で見かけたのだが、火垂が駅に向かい出したので、須山望海は後を付けて来た・・なんて火垂には言えない。 
「まぁ、そうか・・」火垂も休学届を出してきたとは言えず、”サボり”でこの場を済ます事にした。
「ワタシはランチを食べようとしてるんだけど、君のサボりの目的は?」この後の接点を何とか繋げようと、頭を捻りながら須山望海が一手を繰り出した。
「まぁ、そんなものかな・・」服を買いに来たと火垂は言えず、曖昧に返す。須山望海の戦略は叶った。後は・・ゴリ押しするだけだ。
「じゃあさ、食事しない? 相手が居た方が店に長居も出来るし」望海は胸の内でガッツポーズをする。火垂が頷いたからだ。

須山望海のオススメの店だと言われて、火垂は唖然とする。「しらさぎ」と看板が掲げられた和牛・ジビエ料理のチェーン店だった。飛騨牛や富山牛を使ったPBマートの系列店なのだが、須山望海はそんな話は知らないだろうと思いながら、火垂は渋々店内へ入ってゆく。 
店内に入り須山が驚く。連休前には、こんなポスターは貼られていなかった。ニュージーランド代表のユニフォームを纏った杜兄弟が腕組をして並んでいるポスターが貼ってあった。

そう、五輪開催が近づき、PBマートがサッカーと7人ラグビー・ニュージーランド代表のスポンサーになった。それだけならまだ良かったのだが、日本市場向けには知名度がそれなりにある杜兄弟4人を採用していた。
いつの間に身に付けたのだろう?マスクとサングラス姿に転じていた火垂が、須山の隣に居た。

 ーーー

この日の予定をこなした杜 亮磨は、議員宿舎で私服に着替えるとマスクと眼鏡姿で赤坂見附駅へ移動し、新橋駅へ向かっていた。

一党の党首であり、国会議員が地下鉄で移動している訳が無いという人々の裏手を取る。 しかも、集合場所は駅前の汽車広場だ。PBホームの撮影を終えた久遠瑠華だけでなく、マネージャーと事務所のお偉いさんも居るので、敢えて人々の目に付く場所で落ち合う。
列車が新橋駅へ到着し、地下から地上に上がり駅前の蒸気機関車にやって来ると、グレイ髪のサングラスとマスク姿の女性が頭を下げながら足早に近寄ってくる。 
髪色から明らかに瑠華ではないので警戒して身構えると、相手が急に立ち止まった。 「ひょっとして、杜党首ですか?」とマスクを外しながら言うので誰だか分かった。会見場では見かけていたものの、会話をするのは初めてとなるアジアビジョン社の香椎ユーリ記者だった。コクリと亮磨は頷きながら、周囲をゆっくりと見渡す。香椎記者が「誰」と自分を間違えたのか、亮磨は朧気に察していた。
父達の中国訪問の情報を、アジアビジョン社にリークする計画であるのは知ってはいたが、まさか2人だけで遭って、香椎記者の手柄にするとは思わなかった。
背格好が自分とほぼ同じ人物を、香椎記者は待っているのだろう。そうでなければ足早に近寄り、突然立ち止まりはしない・・と。

「亮磨さん!お待たせしました・・あれ?ユーリちゃん?」              久遠瑠華と事務所の御仁と思われる計3名がやって来た。そうだった、香椎記者と瑠華は石垣島のレッドスターホテルで会っているのだと、亮磨は思い出した。 香椎記者が舌を少々出しながらサングラスを下げると、碧い瞳が現れ、思わず息を呑む。ロシア系ハーフだとは聞いているが、間近で見ると日本人母の要素は殆ど感じない、そんな素顔だった。     

「あー、瑠華っちは党首さまとお食事?」香椎記者が言うと、「そーだよ。ユーリちゃんはお仕事なの?」                

「あ、ワタシ、今日は非番でね・・友達と待ち合わせなんだ」と警官の様な発言をする。 亮磨は自分達から離れた場所で、こちらを時折伺っている、周囲より頭一つ分飛び出た、紺色の無地のベースボールキャップの横からウェーブの掛かった白髪を被った男を見つける。亮磨と同じ様にスーツを脱いで、近隣に有る放送局か広告会社の業界人が纏う様な私服に着替えている・・やはりそうか、と。

「さ、お嬢様方は改めて連絡してもらうとして、このメンバーで留まって居ると流石にバレるので、僕らはお店に移動しましょう」亮磨が機転を利かせて場を動かし始めると、香椎記者がホッとした様な顔をする。瑠華に「またね」と言いながら、記者が事務所の2人にも丁寧に頭を下げている。

亮磨の視界の左端で、男が帽子を取って頭を搔いている。
「どっかに連れ込んでもいいけどさ・・撮られるなよ」と思いながら、亮磨は男に背を向けながら、右の拳を高々と上げた。        

(つづく) 


いいなと思ったら応援しよう!