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(3) 国境を跨ぐ人々(2024.3改)

鳥達の鳴き声で目が覚めた。
竹で編まれた壁から、日の光が小屋の中に差し込んでいる。時刻を確認したいが全てバッグの中だ、諦める。感覚的には7時過ぎ位だろうか。
日本から持参した蚊帳は絶大な効果を発揮して小屋に侵入する蚊を寄せ付けず、快適な睡眠となった。マイの細い腕をゆっくりと外し、代わりにタオルケットを彼女の腹に掛けると、蚊帳を出て小屋の外へ出る。

タイ北部の肌寒い位の朝の大気で深呼吸を繰り返す。ペットボトルの水で嗽をして口を注ぐ。小屋の裏手で吐き出すと、乾季で乾いた砂粒上の土に瞬時に浸透してゆく。

タイとミャンマーの国境沿いにあるタイ・ターク県にあるカレン族最大のメラ難民キャンプに、モリとマイは昨日辿り着いた。
タイには7つのカレン族のキャンプ地があり、このメラ難民キャンプは最も大きく、約35,000名のカレン族が居るという。

世界のグローバルサウス諸国の地方都市同様にカレン族等少数民族の女性達は働き者だ。 水場で桶に水を汲んで各自の小屋へ運び、朝食の準備に取り掛かっている。
通訳兼ツアーガイドとして帯同しているシャン族のマイは、誕生と同時にミャンマーのヤンゴンで半軟禁生活状態にあったので都市型生活習慣が染み付いている。大抵、朝食の匂いで目が覚める傾向にある。そもそも料理をしたことがない。お嬢様?というよりも、食のコストを最小限に抑えられ質素な食で生を繋いできたのだろうと推測している。追って確認しなければならないものの一つだ。

藪の中に入って放尿してから、キャンプ内を散策する。
はにかんで視線を逸しながら挨拶する若い女性と、既に性別を超越した皺だらけの女達から
「ニップン!」「コー・ジープン!」とタイ語で声を掛けられて「ガハハ」「ワハハ」と笑われる。
昨日、森でイノシシを2匹狩って来たので、このような反応なのだろうと勝手に解釈していた。

夕方に2時間時差のある日本と繋いで、公開方式のネット会談を実施した。
7日に投票のある西東京市、滋賀・東近江市、愛媛・今治市、福岡・富津市、熊本・宇城市、沖縄・浦添市それぞれの共栄党推薦の市長候補者6名を激励する主旨なのだが、ビルマクーデター鎮圧の率役者の肉声が漸く聞けた、という方が話題となった。

「ビルマでは鎮圧する側に加担した格好となりましたが、皆さんの市では 民主的なクーデターを達成下さい。市民の方々に視覚的に実感して頂ける必要な支援を共栄党としても行って参ります。
今回、我々はビルマのガスと石油の油田の元締めとなる権利を得ました。
ビルマ産石油とガスの15%を、社会党と共栄党知事と市長の県と市に対して、この夏迄を目標に提供致します。
市民の皆さんの光熱費や水道代、燃料代をあの手この手で下げる努力をする所存です。
また、亮磨代表が申し上げている通り、小麦販売価格の低減と、低価格食料品を皆様の市内の飲食店、商店に対して提供して参ります。この春の日本企業の賃上げは都市部のコロナ明けが追いついておらず難しいでしょうから、少しでも市民の方々の生活を支えられる様、矢継ぎ早に対策を講じて参ります。共栄党の迅速な対応の数々にご期待下さい」
と、誰も知らない油田管理の権利取得にサラッと触れ、「クーデター阻止の対価を得た」成果として見做され、現職市長と他党の候補者にとっては渾身の右ストレートがクリンチにヒットしたか、パイルドライバーを食らってリングマットに頭から突き刺さった様になってしまう。
モリの発言を補足する様に、具体的な市民向けの生活支援策を共栄党代表の杜 亮磨がプレゼンし、ネット会談の視聴者に示して、理解を深めた。

4年も経てば日本中の都道府県と市町村に共栄党の知事や市長が収まり、議会が共栄党と共産党の議員で占拠される事態を人々は想像するようになる。地方選挙の度に、地方行政と生活支援が刷新され、4年後には日本社会全体が恩恵を受けている「段階的次元施策」なのだとメディアも人々も察するだろう・・

昨夜イノシシバーベキューをしたキャンプ地の広場までやって来ると、夜は分からなかったサッカーのゴールポストに気づいた。しかしネットが無い。サッカーボールとネットを各キャンプ地に届けようと思い立ち、忘れない様にスマホでゴールポストを撮影する。
ボールが何処かに転がっていないか?と、暫く広場の周りの藪を探したのだが、何処にも見当たら無い。ボールは貴重品で大事に管理されているのだろう。
藪の中のボールを捜索していると「イッセイ!」と呼ぶ声が聞こえる。マイが村人たちから散歩コースを聞きながら辿り着いたのだろうと藪を出る。
年齢の数え方まで確認していないが、本人は今年で16だと言っている。ペッタンコの胸で駆け寄ってくる。女子の走り方なので、辛うじて性別が分かる。そんな体型なのでモリの中では小学生の解釈でいた。軟禁生活で十分に食べれなかったと言うので仕方がないのだが。
胸に飛び込んで来るが、体に柔らかさが殆ど無いのを知っているので、スェーバックしながら受け止めたのに、互いの骨同士が当たる痛みを感じる。まだキャンプ地の子供たちの方が栄養状態が良いと実感する・・

「おはよう、良く寝れたかな?」頭を撫でながら英語で言う。タイ族の子を撫でるのはタブーだが、ビルマ族と少数民族の子は大丈夫だ。

「うん。熟睡、スッキリした」
「そっか」と言いながら、つい抱っこしてしまう。身長は140cm程度で、40キロ有るか無いかのガリガリの娘に「あなたの妻になるのが私の定め」と言われ続けている。イメージすら出来ずに毎回、反射的に幼女をアヤしている様になってしまう。
他部族の言語習得を弟共々強要されて来たのと、国際社会と東南アジアにおける少数民族のポジショニングを母から学び、通訳兼ガイドとしては極めて優秀な面も有り、外観と内面が何気にアンマッチしている娘だった。

水汲みの帰りだろう。
広場を横切る成人前位の少数民族特有の小柄な女性達が何やら言っているのだが、モリにはサッパリ分からない。
そんな娘たちに舌を出してアッカンベーをしているマイの姿は16には見えず、小学生そのものだ。

「なんて言ってるの?」
と訊ねると、首に巻き付いてくる。

「んーとね・・どうせ、昨夜も抱かれなかったんだろう?日本人はお子ちゃまのアンタには目もくれないだろうって言われた。今晩は私達が夜這いに行くから、アンタは出て行きなって誂われたから、凄く腹が立ってねぇ・・」

「そういうのはパスだって言ったじゃないか」

「そうは言うけど、ショウコもユマもイッセイの妻なんでしょう?バンコクには他の若い妻達が心配して乗り込んで居て、その一人は妊娠しているみたいだし・・。「日本の女性も私達と一緒だった。もう一人子供を産むからね」って、電話口でお母さん喜んでたよ。そうそう、私と弟の父親は違うから、安心してね。
郷のルールには従って貰うしかないよ、イッセイは私達の代表で王様なんだもん。私達女には強い男の種が必要なの。ね、日本と同じでしょ?」

「いや待て、全然違うって。日本に行けば分かるけど、そんな家はまず無いからね・・」
口にした後で地雷を踏んだ事に気づいた。

「私も養女になるんだから、他の養女と同じ。運命は簡単に変えられないんだよ」
首が苦しい位にマイが抱きついて来た。

ーーー

クーデター未遂から5日後、ヤンゴンの中国大使館は諜報活動の最前線となっていた。
痛かったのはクーデター失敗、華人排斥の兆候を受けて、春節でバカンスを過ごす中国人観光客を呼び込む予定がキャンセルとなったのと、プルシアンブルー社のミャンマー関与が確定的な状況で、ミャンマーからの撤退を考えて相談を持ち掛ける中国企業が突然増えた。
バングラデシュとラオスの大使館員も臨時要員として参集して中国企業のケアに当たりながら、クーデター前後の状況・情報把握にも並行して応じていた。

「そうか、モリはkNLA(カレン民族解放軍)のキャンプに居るのか・・」

「はい。UWSA(ワ州連合軍)からの報告で、クーデター鎮圧の手順も判明しました。

マンダレーとネピドーの空軍基地のレーダーと滑走路を爆撃し、戦闘機が離陸できない様にするのと同時に、ヘリと地対空兵器類をゲリラが地上で破壊しました。
空軍宿舎内に催涙弾を多数打ち込み、パイロットと整備士、管制官達を全員を拿捕しました。軍の最高司令本部にも催涙弾が打ち込まれ、ガスマスクを付けた幹部達が護衛と共に外へ出た​所で36名全員が足を狙撃され、やはり拿捕されました。最高司令官に「クーデター失敗、ビルマ解放戦線に従って投降するように」と、足を被弾しているのに銃を突きつけられ、テレビカメラの前で全軍に向けて発言させて全てが終わりました」

「戦闘機や訓練機も破壊されたのかね?」

「それらは無事なのですが・・」

「無事なら問題ないが、、どうした?」

「ベトナム軍とインドネシア軍が治安部隊としてゲリラの支援に付いて、滑走路修復の応急処置を施した後、全機を離陸させ何処かに運び出したとのことです・・」

「バカな!我々が開発した機体だぞ!機密が漏れるではないか、大至急追跡して爆破するなり、奪還する処置を取らねばならん! ・・まずは・・そうだ、誰が操縦したんだ?」

「恐らくベトナムとインドネシアのパイロットと思われます。J-17の飛行訓練を受けたパイロットがおりますので・・」

「ベトナムとインドネシア外務省経由で両国の国防省に打診するよう、外交部ヘ伝えろ。私は外交部幹部に連絡を取る!」
ヤンゴン中国大使の隆 昌敏は外交部の次の部長と目されている劉 璋にメールする。

劉 璋はクアラルンプールで北朝鮮の4カ国協議に出席している筈だ。我が国の軍事機密が危うくなっている状況と困惑している姿勢をさり気なく米国の代表に伝えて、反応を見るのも良いかもしれない。
第3国で利用している米国機が故障して中国領土に臨時着陸をしたなら?と仮説を唱えて、中国は即日で封印して調査はしないなど、口約束する姿勢を見せてはどうだろう?
在韓米軍や第七艦隊等で新型のF35の配備が進んでいる米軍で、初期不良や障害の情報を耳にする。
中国側の提言に米国がどんな反応を示すのか?諸々見定めるのもアリではないか?と隆 昌敏はそうタイプすると、送信した。

ーーーー

「”先読み”の言う通りになったな・・」

ワ州連合軍のウェイ・シューカン司令官、ウェイ・シューイン司令が25年前を回想しながら、取れたばかりの新茶を飲んでいた。
1996年、クンサー率いるモン・タイ軍(MTA)とミャンマー軍の停戦合意に伴い、クンサーが投降・武装解除し、ワ州連合軍が中国寄りの少数民族では最大勢力となった。クンサーの側近だったウェイ・シューカン司令官、ウェイ・シューイン司令はワ族のワ州連合軍に残り、活動資金源となるアヘン栽培を継続・発展させる事になった。
CIAの支援を受けて、麻薬没滅を掲げるようになったカレン民族同盟やカヤー族主導のカレンニー民族進歩党とは、主義主張が若干異なる様に意図的に区分けしてきた。

中国とアメリカの双方からの支援を受けた経験がある、故クンサーの判断だった。

タイ側に残ったシャン族、ミャオ族に至っては中国国民党の流れから、今は台湾の支援を仰いでいる。少数民族なりの「危機管理・防衛戦略、そして民族保護と生存戦略」と言う訳だ。

今回のクーデター未遂に際しては、部族間の事前の合意に従って少数民族は一枚岩となってみせた。

旗頭となったのはモリだ。
ワ族、シャン族、カレン族、ミャオ族等の各部族に居るシャーマン”先読み”の予言通りに「背の高い日本人」が現れ、ミャンマー軍のクーデター阻止のプランを高らかに掲げて進軍して、事を成した。

昨日は病床のパオ・ユーチャン最高司令官の見舞いに訪れて、ワ族が栽培するアヘンの全数買い付けと、近々の田植え稲刈りの農業支援を約束していった。
麻薬は製薬製剤用途と、狩猟用の麻酔弾で用いるので栽培した分だけ基準価額よりも高く買い取るし、稲の栽培の為にAIバギーを提供すると言えば、ワ族も喜ぶ。
その前はカレン民族解放軍の総司令部を訪れて、ミャンマー軍絡みの企業をプルシアンブルー社が刷新し、カレン族のリーダー達に経営を学んで貰い、カレン民族の老人・女性たちを優先的に雇用すると宣った。
演説するモリがクンサーと重なるように見えたのも、強ち間違いではない。いや、同族シャン族のシャーマンが「クンサーの再来」と言いながら泣いたという逸話が、人々の背を少なからず押し、ビルマ解放戦線として一丸となった。

「チェンライのカレン民族解放軍の司令部にCIAがヒアリングに来ているようだ。越境してシャン州の総本部とネピドーを視察したいとも言ってるらしい」
シューカン司令官が茶を注ぎながら言う。

「我々の元へ来られても厄介だな。モリの滞在の痕跡を探りたいのだろうが・・」
・・「2人の師匠の埋蔵金は君たちが使うのが一番だ」とモリが2人に言った際のマイの怒った顔をシューインが思い出し、茶を吹き出した。

「来るならラオス側に退避してしまおうか?俺たちが居ないからって、ケシ畑までの案内なんていうのはもっての他だが」

「どうせ、アリアとマイの2人が居なければ鍵は開かない。知らぬ存ぜぬで押し通せば良かろう。この地で出迎えてやろうじゃないか。もっとも、モリとマイ程の歓迎をするつもりは無いがな」

シューカンが新たな茶器をシューインの前に置いた。福建省の茶葉に負けない香りがシューインの鼻をつく。
2人は茶器を手に取り掲げて、師が願っていた新時代の到来を祝った。

ーーー

7日「チェンマイのイミグレーションにモリが現れた」という一報がタイのメディアに伝わった。

ノービザでタイに入国して30日が経過しそうなので、プラス30日の延長申請を要請してきた。滞在先証明の住所はプルシアンブルー社のバンコク支社になっていたので許可を出しており、タイ側は手続きは承認せざるを得なかった。
同社のエンジニア5名と女性社員2名もミャンマーに不法入国しているのが分かっていながら、日本大使館からの要請でタイ入国を認めた。モリも同じ扱いを受けた格好だ。

また、連れのシャン族の少女と少女の親類3名がホテルに滞在しているというので、タイの入国管理局のスタッフが同行する形で、日本大使館に向かうことになった。

少数民族シャン族で当然のように国籍はタイ・ラオス・ミャンマーの間で宙ぶらりんだ。
パスポートなんてものは持っていない。
日本大使館で保護している2人を合わせて、大人3名はプルシアンブルー社で雇用するとモリが言っていると日本大使館に伝えてきた様だ。

外務大臣の前田未来は、特例措置として無国籍シャン族6名の日本滞在を期間を限定して認め、外務省のアジア課の桜田詩歌がバンコクへ飛んだ。外相も外相補佐の里中も対象者が3名と聞いていたが、6名になったのは全くの予想外で、外務省内の手続きに手間取ってしまった。
チェンマイから国内線でバンコク入りした一行と、外交官の桜田がタイ入国したのがほぼ同タイミングとなった。
日本大使館にやってきた桜田が一室に入ると、モリの左右に女児がへばりついている。

「隠し子?」とフト頭に浮かんだが口にはしない。
女性3人は姉妹だろうか?苗字が無いので分からない。一人が男の子を抱っこしているので、例の母子だろうと桜田は察した。

「3人の子供たちと養子縁組する」とモリが言う。また子供が増えるのね、養父も大変だと思いながら桜田は手続きを進めていった。

養女の平泉 杏が新顔の蜂須賀 翼と東山 柚子を伴って、日本大使館にやってきた。桜田は杏から新顔の女子大生の紹介をされ慄く。「またライバル増えちゃったよ・・」と項垂れた。

そういった諸々もタイのメディアの知るところとなり、在バンコクの日本メディアの支局からは記者会見の要望が集まった。
クーデター鎮圧の当事者として顔を晒しているので会見を受けざるを得ないだろうと、誰もが思っていた。

しかし、日本からやって来た外交官は拉致されてしまったのか行方不明となり、プルシアンブルー社の社員と共にモリも失踪してしまう。

誰にも言えないのだが、昨年末から殆ど無休だった。本人はドップリ休みたかったのだろう。

(つづく)


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