ゲーム制作のための文学(16) 天路歴程、どのような本が読者の人生を完全に変えてしまうのか?
5月29日の文学フリマ東京に向けて、『ゲーム制作のための文学』を制作しています。表紙も本文もほぼ完成して、再度チェックして問題がなければ明日、印刷所に送る予定です。
最終的には、文庫サイズで170ページになりました。
もし『ゲーム制作のための文学』が欲しい方がいれば、ぜひ文学フリマ東京に来てください。500円で販売します。
さて、ダンテ、ボッカチオ、ラブレー、セルバンテスと来て、とうとう小説以前の文学者の最後の人を紹介するときが来ました。
ジョン・バニヤンです。
サザーランド先生の「若い読者のための文学史」では、ラブレーやセルバンテスと共にフェミニズムの先駆けとしてアフラ・ベーンの『オルノーコ』を紹介していますが、今回は外しています。
理由は、フェミニズムは二十世紀後半の代表的思想であり、十八世紀事前の文学として紹介するのは不自然だからです。
よって、小説以前の文学者の最後は、バニヤンにします。バニヤンはプロテスタント文学の創始者でもあり、まさに小説以前の物語の時代の最後を飾るに相応しい文学者です。
ちなみに、『天路歴程』は聖書の次に印刷されていた時代があるといわれるほど有名な物語です。
『ゲーム制作のための文学』『
第十五章 天路歴程(バニヤン)
一冊の本を読んでしまったために、人生のすべてが変わってしまった体験をした人はいるでしょうか? 本を読み、そして世界のすべてが変わってしまった体験をした人が。
前回まで、ダンテの『神曲』、ボッカチオの『デカメロン』、ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』、そしてセルバンテスの『ドン・キホーテ』と四人の人文学者たちに触れてきました。
ダンテはカトリック世界を代表しており、ボッカチオは人間を描くことに集中しました。ラブレーは真理を探求や人間を深めることではなく、読んで楽しい物語に集中しました。スペインの有名な作家セルバンテスは、『ドン・キホーテ』において、物語で物語を攻撃することは始めました。
今回は、小説以前の文学者の最後の一人である、バニヤンを紹介します。
ジョン・バニヤンは一六二八年にイングランドで生まれました。一二六五年にダンテが生まれてから、およそ四百年の後です。文学の流れは、ダンテとボッカチオのイタリアから、ラブレーがフランス、セルバンテスがスペインで、そこからドイツを避けてイギリスに向かったことになります。
バニヤンの『天路歴程』は、物語の主人公が一冊の本を読むところから始まります。一冊の本を読み、そして彼の中で世界が変わり旅が始まるのです。
前回、ルターの宗教革命の話をしました。ルターは聖書をドイツ語に翻訳することで、ドイツ人が聖書を自分で読めるようにします。そして、翻訳と印刷によりプロテスタントという新しいキリスト教の流れを作りました。
しかし、聖書の翻訳はルターのみが行ったわけではありません。
十六世紀以前は、聖書はラテン語にしか翻訳されていませんでした。そのため、ラテン語を読めない人々は、ただイタリアにいるローマ・カトリック教会の教皇と司祭達の言葉を信じるしかありませんでした。
宗教改革以前、キリスト教というのは、ただイタリア人が信じることを信じることが正しいとされる宗教だったのです。当時のキリスト教とは、ただイタリア人を崇拝して彼らを信じることでした。
しかし、イギリス王ジェイムズは野心を抱きます。
聖書を英語に翻訳して、翻訳された英語の聖書を聖典とした「イギリスのキリスト教」を始めようとしたのです。
ローマ教皇ではなく、イギリス王こそがキリスト教の最高権威になる。
イギリス国教会のはじまりです。
ジェイムズ王は、一六〇四年のハンプトン・コート会議にて最高の英語で書かれた一冊の本の制作という壮大なプロジェクトを発表します。こうして生まれたのが、おそらくは最も有名な英語訳聖書、ジェイムズ王欽定訳聖書です。
欽定訳聖書の誕生により、イギリスはイタリアの支配から脱してカトリックと手を切ることになりました。
イギリスの、自分達のキリスト教を手に入れたのです。
しかし、解釈と書物は同じではありません。そして、宗教とは書物ではなくて解釈に関係するものです。なぜなら、宗教とは集会であり、組織であり、そして宗教指導者により導かれる者だからです。そして、万人が書物を手に入れることにより、解釈は宗教的指導者のみの特権ではなくなります。
イギリス国教会は英語訳聖書を手に入れることで、カトリック教会と同じ問題に直面することになります。
バニヤンはキリスト教の伝道師でしたが、僅かな教育しか受けておらず、免許を持たずにキリスト教を教えたことで投獄されました。
当時、学のない人間、より正確には正規の教育と試験を受けていない人間が人を教えることは犯罪なのです。
しかし、彼は自分で聖書を読み、自分が正しいと思ったキリスト教徒の解釈を一冊の物語にして出版します。
それが『天路歴程』です。
この物語は一人の人間がキリスト教徒になる物語です。そして、そこにはバニヤン自身のキリスト教の解釈があります。
カトリック教会からプロテスタントが生まれたように、イギリス国教会からも読書による新しいキリスト教が生まれたのです。聖書を読むことは、文学によるキリスト教という新しい系統を生み出しました。
セルバンテスの『ドン・キホーテ』が破壊、あるいは反逆の文学であるとすれば、バニヤンの『天路歴程』は創造の文学です。
セルバンテスはカトリック的騎士道を攻撃しましたが、バニヤンはプロテスタントという新しいキリスト教を形にしました。
セルバンテスは破壊しただけですが、バニヤンは、自分で聖書を読み自分で新しい世界を創造しました。そのため、これまで、バニヤンの『天路歴程』は伝道者達が聖書の次に翻訳する本として有名でした。
こうして私たちは、カトリック教会からはじまり、プロテスタントという新しい宗教が生まれたのを目にします。
そして、それは演劇の時代から書物の時代が、書物を読む知識人から与えられた解釈を信じるのではなくて、自分で本を読んで解釈して、その解釈を作品にする時代が始まったことも意味していました。
読書のみが尊く、それ以外は卑しい。そのような価値観が崩壊して、読み考え自分で情報を創造する時代が来ます。
本を読むことは、革命を生みだしたのです。
人生を変える一冊の本。という話をすると、私たちは新しい本との出会いを思い浮かべるかもしれません。しかし、新しい本との出会いが人生を変えることはそれほどないかもしれないと私は思っています。
むしろ、私たちは自分達がよく知っている物語を、内容をよく知っている本を読むことにより人生が変わってしまいます。
それは、読書が自分自身を知ることになり、そして自分が信じていた世界について考えることを可能にするからです。
読書は、それはこれまで生きてきた自分自身の人生に、もう一度、自分を投げ込むことを可能にします。昔の自分が好きだった本を再び読むことで、自分を発見して、人生が大きく変わることもあるのです。
バニヤンの『天路歴程』の主人公が聖書を読み人生が変わったのは、聖書を読むことでキリスト教に触れたからではありません。むしろ、物語の主人公がキリスト教徒だったからこそ聖書により人生が変わったのです。
真理の文学、ダンテ。
人間の文学、ボッカチオ。
娯楽の文学、ラブレー。
反逆の文学、セルバンテス。
創造の文学、バニヤン。
これまで、ルネサンスに関わる重要な五人の文学者とその代表作を紹介しました。この五人の文学者の名前は暗記していると便利であり、そして創作に関する問題を議論するときに役に立つと思います。
しかし、彼らは文学の基礎を提供しただけに過ぎません。
また、ダンテの『神曲』が戯曲であることを別にしても、彼らの作品が小説と言われることはありません(ただし、セルバンテスの『ドン・キホーテ』はまれに言われます)。彼らの作品は小説ではなくて物語です。
バニヤンを最後に物語の時代は終わります。
デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、スウィフトの『ガリバー旅行記』という二冊の本を起源にして、物語は劇的に廃れて、小説という新しい時代が始まるのです。
新しい時代の始まりです。
』『ゲーム制作のための文学』
というわけで、人生を変える本というのは、意外にも読まなくても内容を知っている本かもしれないという話でした。
『天路歴程』の主人公は、自分達の常識を生みだしている根幹の書物に触れることにより人生が変わったのです。
私も日本書紀を読んで、天智天皇に衝撃を受けたので理解できます。特に、新しい事実や情報を何一つ学びませんでしたが衝撃でした。
今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。
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