ゲーム制作のための文学(11) ドン・キホーテ、騎士道を全力で否定する。
前回、ダンテの『神曲』を例に宗教と文学の違いを、模倣に肯定的であるかどうかという視点で書きました。そして、今日は前回書いたことを全力で否定してみたいと思います。
今日取り上げるのは、セルバンテス。そして、作品はもちろん代表作『ドン・キホーテ』です。
『ゲーム制作のための文学』では、ダンテ、ボッカチオ、ラブレー、セルバンテス、バニヤンの五人の文学者を重視しています。
そのため、次はボッカチオが妥当なのですが、演技というポイントについて先を見せておきたいので、そして『ゲーム制作のための文学』の終着点を早めに見せておきたいので、いきないセルバンテスに飛びます。
古い文学史を読んでいると、ダンテからセルバンテスに飛ぶことは少なくありません。
理由は、ロマン主義とリアリズムをシンプルに対比させるためです。理想と現実の対比です。
文学とは作者の主張ではなくて、作者が見えている世界、その世界観を描くものであるという発想の根幹には、セルバンテスの『ドン・キホーテ』があると考えられます。
『ゲーム制作のための文学』『
第十章 ドン・キホーテ(セルバンテス)
アニメキャラクターや漫画の登場人物のまねをして、あるいは村上春樹の小説に登場する主人公の台詞をまねて、気持ち悪いと虐められた人はいるかもしれません。逆に、本の世界を現実に持ち込まれて迷惑だと誰かに対して思った経験がある人もいるでしょう。
TRPGや演劇という、限られた世界における演技としての模倣はともかく、それが現実に持ち込まれると不快に思う人は多いはずです。
しかし、冷静に考えてみましょう。
それはなぜなのでしょう。なぜ、私たちは本の世界を現実の世界に持ち込まれると不快に感じるのでしょう。
今回は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』について書きます。
セルバンテスは一五四七年、スペインで生まれた作家です。スペインはキリスト教のカトリックと正教会の分裂以降、強大なイスラム帝国に支配されていました。しかし、レコンキスタによりスペインはキリスト教に復帰して、セルバンテスが生きていた時代には無事にカトリックの国になっています。
キリスト教はイスラム教には絶対に勝てない。そのような常識は過去。セルバンテスはレコンキスタの騎士たちにより、イスラム教こそが最強で常に正しいという常識が覆された時代、さらに海を渡り新大陸を発見した時代のスペインに生まれました。
そして、文学史上に残る『ドン・キホーテ』を書きました。
物語『ドン・キホーテ』は、騎士物語が大好きな老人の話です。
彼は騎士物語が好きすぎて自分を騎士だと思い、農民を一人捕まえて旅に出ます。農民は老人のドン・キホーテを馬鹿にしています。彼は旅の先でさまざまな騒動を起こしますが、もっとも有名なのは風車に突撃する場面です。
彼は風車をよこしまな巨人だと考えて、そして巨人を退治するために風車に突撃して怪我をします。風車であることが分かっても、魔法で巨人が変えられただけであると風車が巨人であったことを認めません。
ドン・キホーテの信念は一貫しています。
周囲が口にする常識と自分の信念が食い違ったときには、常に信念を優先する。周囲の常識的意見を聞くことは無駄である。
まさに、アメリカを発見したコロンブスのように、理屈で攻めてくる人たちの相手をするのは馬鹿だと考えます。実行に移して、目的を実現した人間が評価されるのだ、妄想と現実を区別する人は馬鹿だと旅を続けます。
ドン・キホーテは周りの人たちに迷惑をかけながら、自分自身も悲劇に見舞われながらも生き方を変えることはありません。
他者の意見と、自分の意見が食い違っているときに、正しいのは常に自分の意見です。自分は騎士なのだという、あのレコンキスタによりイスラム教徒を撃退した騎士の仲間なのだという誇りで冒険を続けます。
まさに完璧な自己肯定。
自己啓発が目指す究極の人間。それがドン・キホーテです。彼の相手をしていた農民はうんざりですが、どうやら面白いようでドン・キホーテの相手をしています。
セルバンテスが描いた『ドン・キホーテ』の要点は、演じるということに対して露骨に批判的なこと、そのため読書に関してもきわめて批判的であるということです。
科挙などで中国では「読書のみが尊く、それ以外は卑しい」と言われて男性の正しい趣味は本を読むことだけだという先入観があるようです。身体を動かすのは女の仕事、本を読むのは男の仕事です。インドの頂点は貴族ではなくバラモン(宗教者)、キリスト教でもイスラム教でも本を読む人が一番偉いです。
そして、日本の天皇と藤原氏は日本書紀や中国の書物を独占していたことに強さがあったと思われています。
読書のみが尊い。
それは現代にも繋がっており、大学出身者はお利口さんで、肉体労働者よりも大企業のスーツを着ている背広組の方が給料も高く、社会的な地位も高いと信じられています。作業服よりスーツが偉いのです
理由もはっきりしており、専門領域が発達した国では、たくさん勉強した人、本をたくさん読んだ人が報われるべきなのです。本に書かれていることを、どれだけ自分のものにしたかが人間の評価になります。
強さとは肉体的な強さだけではなく、精神的な強さである。勉強をたくさんして精神を鍛えた人のみが偉い。
文字こそが、男性の力です。
実際、大航海時代では地球が丸いことから、インドとは反対側に行けばインドに着くと冒険者達は出発しました。言葉で考えて、妄想を信じると現実になるのが男らしさです。読書と妄想が尊いのです。
という発想を正面から馬鹿にしたのがセルバンテスです。自分を騎士だと信じても凡人は凡人のままだと思う。
アメリカを植民地にした開拓精神、読書家、そして自己啓発が理想とする読むだけでなくそれを自分のものとして実行する行動力があるドン・キホーテは、自己啓発として理想的人物ですが迷惑な人物です。
実力もないのに自分はアマゾンのベゾスだと考えて、失敗を繰り返しても学ばず、そして周囲の批判に対しては常に周りがおかしいと思っているような人物なのです。他者の意見より書物の世界観が常に正しいです。
セルバンテスの主張はただ一つ。
本を読みすぎると馬鹿になる。
読書は模倣を伴います。私たちは、物語を読むことで自分自身の人格を育てていきます。しかし、それは現実の自分を忘れさせます。
彼は騎士の物語を読み、自分をレコンキスタの騎士であると意識することにより迷惑な人物になりました。レコンキスタは成功してイスラム教と戦う時代は終わっているのに、それが分からないのです。
私たちは、ここに模倣とは別の「現実」という概念を手に入れました。
文字で書かれた本は常に過去のことであり、常に時代遅れです。これがリアリズム文学の始まりとなります。
宗教と文学の違いは模倣に対する態度だと書きましたが、模倣という概念はそれほど単純ではないようです。
』『ゲーム制作のための文学』
5月29日の東京にて開催される文学フリマ東京で、『ゲーム制作のための文学』を販売する予定です。
興味がある方は、ぜひお越し下さいませ。
今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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