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今日のヨシナシゴト

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日記のようなものです。
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初期K-POP的言語運用と曲づくり(SUNO)

・SUNOで曲を作った。Inspired by 友達から送られてきたLINEの文面。 ・友人曰く、途中まで動画見てたけど眠すぎて寝てしまって、途中の意識は夢の中らしい。夢と現実がシームレスに繋がってるみたいな夢日記らしきものなので、タイトルはSEAMLESS。本当は、ゆら帝みたいな曲にしたかったらしいが、分量的に多すぎたので、あれこれいじってるうちに疾走感が必要ということになり、文面を整理してKPOPナイズドした。 ・プロンプトは、「Female vocal, Korea

何かが変わりそうな気がする。

会社を辞めた。4年勤めた会社を辞めた。なんやかんやあって体制が変わったりしながらも、結局辞めた。いつからかディレクションをするようになったギャラリーは自分の中でもどんどん比重を増していって、この数年で美術に対する興味も、世の中に対する興味も増していった。作品について喋る時間は、何にも変え難く、3年前よりもはるかに体重を乗せた話し方ができるようになっている。わからないことがわかるようになっていって、話せなかった人とも話せるようになっていく。楽しい。 ニューヨークで学生の時から

『Here's to Never Growing Up』

Spotifyで音楽を垂れ流し再生しながら本を読んだり、作業をしたりしていると、ふと昔聞いていた音楽に辿り着くことがある。2013-16年あたりの洋楽のゾーンに突入してきて懐かしい気持ちになった。ちょうどアメリカの大学にいた頃なので、billboardのトップチャートを連ねた数々の楽曲は聴くたびに当時の空気を思い出させてくれる。それで、アヴリル・ラヴィーンの『Here's Never Growing Up』が流れてきたので、少し手を休めえて聴いてみた。この曲は2013年の曲で

「なんだかやる気が起きない」という重大なシグナル

祖母は料理が得意な人だった。正月に集まれば冷蔵庫の中からせっせと食料を集めて、大量の夕飯を食卓に並べた。 「お腹いっぱい」と言っても手を休めず、遊びにいくとここぞとばかりに容赦なく作り続ける。台所に立つその後ろ姿はなんだか活き活きとしていた。 そんな祖母がどうやら最近ぱったりと料理を作らなくなったらしい。 喋りも達者でよく歩く祖母のことだから、たまに会う程度では気づかないのだが、どうやら認知症の症状が出ているとのこと。同じ話を何度もしたり、さっきまで手につけていたことを

最近”わからない”に出会ってますか?

美術館が好きだ.  専攻が美術史だし, 単純に美術が好きっていうのもあるけど, 僕が美術館に行くのが好きな理由の一つに"わからない"に出会えるっていうことがある. 美術史をいくら勉強しようが, 美術館の作品全部に「この作品は誰々がこういう考えで作った作品でね…」なんて説明できない. むしろ全ての作品が”わかる”ことなんてあり得ないと思ってて, 勉強したからと言って”わかった気になること”も傲慢だと思う. だってその作品を創ったアーティストは誰よりも時間をかけて作品とそれに

衝動性とどう向き合うかに関するメモ

最近、早寝早起きにハマっている。 と言っても、12時に寝て、8時間寝て、朝8時に起きるだけなので、一般的な社会人からしたら早起きでもなんでもないのかも知れない。それでも僕にとっては、だいぶ早く寝てるし、だいぶ早く起きている。 決まった時間に何かをするのがめちゃくちゃ苦手なこともあって、昔から就寝・起床という大枠の生活習慣すら守れない。毎週同じ時間にテレビの前に座ってドラマを見ることもできないし、週刊誌を購読することもできない。スケジュールに沿って行動するのも苦手で、基本的

撮る。いつか思い出せるように。

なんで思い出って鮮明に覚えていられないんだろう。 どんなに記憶に刻みたいと思っても、その瞬間の解像度を保てない。 過ぎ去ってしまった光景は、頭の中で回想することしかできなくて、脳内で感じ取ったあの色彩、あの空気、あの匂いは、こぼれ落ちるように記憶の深淵に潜り込む。 今この瞬間はその時にしか味わえない。そうとは分かっていても、どうしても残しておきたい景色がある。 そんな状況に立った時、僕はカメラを置くか…構えるか…迷う。 未来の自分にいずれ過去に

会話って共同作品だと思う

日常的に行なっている“会話“というのは、当たり前に見えて実はかなり高度な行為。相手が発したキーワードや文脈から、自分の頭に連想された話題を振る。単に連想ゲームのように繋いでいくだけでなく、相手の感情や共通する前提を鑑みた上で発する言葉を選ぶ。何度も線を引いてスケッチするように言葉を羅列した結果、話の輪郭が曖昧になったり。伝えたいことを正確に言葉にしようとするがあまり沈黙が生まれたり。その沈黙は会話の間なのか、それとも断絶なのか。丁寧かつ熱を持って紡がれた会話は、それ自体が大き

自力で辿り着くこと

言葉というのは難しい。人と議論をしていると、どっかから借りてきた言葉で武装して、参考文献を素早く手札から引用するだけの知識と反射神経のバトルをしてしまうことがあります。 知ってはいるけど、自分の心の底から分かってない言葉や 本で読んだけど実体験で語れない言葉がたくさんあって。 いざ自力で並べた言葉のチープさに絶望する時があります。 最近でいうと卒論の提出期限が迫っているのに、集中できずにいたぼくに気を遣って、誘っても全然相手にしてくれず、卒論が完成するまで待ってくれた友人

自分の時間軸を獲得する

BBCで日本人の盆栽家のドキュメンタリーを観た。儀礼をテーマにした特集で、圧倒的な集中力で一日中盆栽の世話をしている女性の宗教的なまでの日常を美しく描写していた。自分が生まれるずっと前から先祖代々受け継がれてきた盆栽を自分の人生を賭して手入れし、次の世代へ繋ぐ。気が遠くなるほど長いリレー。 500年、1000年と生きる盆栽を手入れすること。容易でないことだけは容易に想像できる。水を遣り、枝を切り、鉢を植え替える。毎日の作業にドラスティックな変化はない。木と共に、木の成長と同

〇〇っぽさってなんだろう

虹色侍という二人組のYouTuberがいる。「米津玄師をback numberっぽくアレンジしてみた」「天気の子の主題歌をジャマイカっぽく歌う」という切り口の企画が特に人気を呼んでいる。既存の楽曲を別のアーティストが歌ったらどうなるか。ジャンルを変えてみたらどうなるかという実験動画だ。 確かに2人のアレンジが加わることによって、米津玄師の曲はback numberっぽく変わり、同じ歌詞なのにもはや原曲が分からないくらい変貌を遂げる。 この〇〇っぽさを構成するものってなんだ

見立てる力

”ヒマラヤほどの消しゴム一つ 楽しいことをたくさんしたい ミサイルほどのペンを片手に おもしろいことをたくさんしたい” そんな歌があった。1993年に発表されたTHE BLUE HEARTSの歌だ。この歌はTHE BLUE HEARTSのマーシーこと真島昌利による作詞で彼の独特の世界観がよく表れている。 ヒマラヤほどの消しゴム。ミサイルほどのペン。 日常生活であまり連想しないワードを2つ組み合わせたこの言葉は、耳にこびりつくパンチがある。関連性のないワードを組み合わせて物

年明け

年が明けました。 10年代が終わり、2020年になりました。 ちなみに今年は家でしっぽり蕎麦を食べながら年を越しました。 昨年は何かと迷走期間の長かった一年でしたが、 ”やめる”と見えるものがあって ”始める”と見えるものが変わる ことを知りました。 ”心を閉ざす”と遠のく声があって ”心を開く”と聞こえる声がある ことを知りました。 長い長い迷走を経て、ようやく視界がクリアになってきた気がします。 昨年大学を卒業して立場も考え方もガラッと変わりました。 初日の出を拝みな