『ビーガンの親』に生まれた、『か細い少女』は、やがて自身も親になり、そして、いま、なにを思う? #ヴィーガン
『多様性』。近年、よく聞くようになったキーワードだ。ひとびとは『多様性』を良きもの、すくなくとも、悪くないものとして、扱いはじめている。
しかし、多様性社会、とは名ばかりに、じっさいは、いまこの社会には、さまざまな「真実」がはびこっている。
いろいろなひとが、いろいろな「じぶんだけの真実」を、それぞれ信じて生きている。それを『多様性』と信じている。それが現状だ。
そんななか、ひとつの社会現象になっているのが『ビーガン』だ。かれらは、その信仰心から肉や、生物由来のものを一切たべない。
ビーガンの彼らは、われわれが、ふだん口にする動物の「ひどい屠殺動画」を布教のフックにする。
そして、「こんなひどいことはやめよう!」「おれたちは動物を殺さなくても、じゅうぶん農作物だけで生きていけるじゃないか!」と言いながら畑を耕したり、
「そうだ、おれたちは『どんな存在も殺さず、傷つけず、ひっそり生きていこう』!」「この時代に動物殺しに加担するやつは、野蛮だ!」、などといきごむ。
さて、もちろん信仰は自由である。UFOをずっと信じてもいいし、陰謀論を信じてもいいし、ただただ信じる分には(つまり、法的に問題のない範囲では)、カルト宗教を信じることも咎められない。
そう考えると、むしろ、ビーガンは平和的で、すばらしい落としどころだとすらおもう。ひとは常に大きななにかと戦っていたい生き物だし、いまは戦うべき大きななにかが失われてしまったから。自身の肉食欲と戦いつづけるのも、欲の発散としてけっこうなことだ。
→戦う大きな相手が
居たほうがバイブス高まるから
しかし、信仰において根深い問題は「2世の問題」だ。信仰は自由。しかし、子は、つまり、「信仰者のこども」の信仰は、ほんとうに自由なのだろうか?
すこし極端な事例ではあるけれども、多かれ少なかれ、親から子への教育というものは、子に影響をあたえる。『親ガチャ』なんて言葉が社会をゆるがしているのも考えれば、わかるはなしだろう。
くりかえすように、信仰は自由である。そして、個人的に、ビーガンを否定しているわけではない。
ただ、「親が実践にまでいたっている信仰を、子は『おしつけられる』という構造的な問題」については、考える余地があるだろう。
その影響はペットにまで?
さて、一般論はここまでにして。
こんかいは、じっさいに、きょうここに生まれている『生きているデータ』を見ていく。
論じることのできる一般論やデータの集積もたいせつだが、n=1の、生の一次情報に触れることでしか感じられないリアルもある。おれはそれをたいせつにしている。
というわけで、今回は「厳格なビーガンの家庭に生まれ育ってきた、現アラフォー・シングルマザー」におすしを奢られてきた(いいの?)。
その「じっさいの苦悩」をみていこう。これがリアルだ。それぞれが信じる真実がいくら強固であろうとも、これもまた、ひとつの真実だ。
購読者のお前らにも、その分配を。
禁断のおすしをたべながら・・・。
ほかのは #奢ログ から見れるよ
『お前、給食費はらえないんだろ』
ビーガンには、きびしい食事制限がある。
給食というものは、国家資格でもある『管理栄養士』が、科学的に、こどもに必要なエネルギー、栄養素をうまく摂れるようにメニューを設定し、それを提供するものだ。
大人でもむずかしい栄養管理を、たべる量のすくない子供の身体でうまくこなすのは、ただでさえ至難の業だ。給食は、その一役を買っている。
しかし、一般的にビーガンのきびしい食事制限を満たした給食のメニューはほとんどない。
だから、こどもがビーガン食をやることになると、親がつくった弁当をたべることになる。だから、彼女は給食をたべたことがない。
同級生の男子には『お前、給食費はらえないんだろ』と言われ続けた。
みなが「おなじ釜のめし」をたべている中で、わたしだけ貧相なお弁当をたべている。この光景は、経験に乏しく、身体もか細い栄養失調の少女に目に、心に、どのように写ったのだろうか?想像は、むずかしくない。
皆とおなじように大人への階段をのぼり成熟し、やがて、変化のなくなった日々に退屈した大人にとって、「一定の不自由」は蜜の味で、ときに力強く生きていくためのスパイスになる。
それに、いまいちパッとしない人生を送ってきたひとでも、ただ「食事を制限する」というシンプルなルールに従うだけで、手っ取り早く「精鋭」っぽい自意識をつくりあげられておトクだ。
多くの人生は見下されることに辟易としており、それは「見下す対象」が他にいる状態をつくることで、おわらない治癒がなされる。肉をやめるだけで、肉をたべる人間を見下せるのだから、ハマるひとが多いのもわかる。
けれども、まだ「そんなくだらない世界」をあまりしらないこどもにとっては、ただ「わたしだけ」に、理不尽に覆い被さる不自由だったのではないだろうか。見下されてもケーキがたべたい。こどもってそういうもんだろう。
健康診断かかったオジさんの晩酌?
激しいビーガン教育
信仰にふける両親、それを横目に、ああ、生きるために私は、この『振る舞い』をおぼえる必要があるんだ。そう、静かに悟った、か細い少女。
あの日の少女は、いまや数人の子をもつ、アラフォーのシングルマザーになった。彼女は今、自身の親に、子に、そして自分自身に、なにを考えるのか?
_________
つづきはマガジンで↓
https://note.com/taichinakaji/n/n944b0d7e538a?magazine_key=m171fe652c7ea
読者の感想はこちらに↓
副作用もあったようですが…。ご自愛ください
読書サークル『三ツ星スラム』はこちら
https://note.com/ogosalon/n/n710b96340a40?magazine_key=m171fe652c7ea
_________
この記事が参加している募集
おすしたべる