「臆病さ」から、脱するコツ。
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なんとなく、ぼくはあらゆる人類を「臆病だなぁ」と思うことがよくある。慎重さとは違う、なにか「フワッとした危惧」に脅かされているひとたち。ぼくは、彼らをそういう風に感じるのだ。
この「謎の臆病さ」について、ひとつの仮説が立ったので書いていく。臆病さを克服し、なにか事を成したいユーザーとか、臆病さによって生じる「苦痛」に耐えかねたユーザーなどには、特に読んでみてほしいと思う。参考には、なるんじゃないか。
じぶんは慎重だ(と自負している)けれど、臆病ではないな、と思っている。それはなぜだろうか。ここにある差異を哲学することで、「臆病さとはなにか?」といった問いをクリアにしていきたい。
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基本的に、ぼくは「すべてどうでもいい」と思っている。それを常に「思い出す」ようにしている。だから、あらゆる物事に対して「執着心」といったものを持つことが少ない。どうでもいいので、執着もしないのだ。
思うに、臆病さとは「執着心に比例して大きくなる」のだ。執着しているから、失うのがこわくて、だからこそ、いまいる場所から飛び立つことに恐怖する。その暖めた白い殻に覆われた我が子を、失う可能性を直視し、身動きがとれなくなってしまうのだ。
それが、ぼくには少ないんだと思う。もちろん、「どうでもいい」を「思い出していない」瞬間というのは、ぼくにだってある。けれども、どこか「執着心」のようなものが心中に表れることをトリガーに、ぼくは「どうでもいい」を思い出す。だから、瞬間的に執着を覚えることはあっても、それと同時に「どうでもいい」と変換されるのだ。
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どうでもいいと思う。そもそも、生きるとか死ぬとか、それがどうでもいい。希死念慮を覚えたことのない人生なんてなかなかにない(と思っている)けれど、その希死念慮の先にある。それが「どうでもいい」ということだ。
もう、死にたい、とも思わない。特別、死にたくない、とも思わない。ただただ、どうでもいい。そして、生死のうえに立つすべても、当然のように「どうでもいい」のである。
一部の一神教信者の方々は、「生きるのには意味があるよ」と思うかもしれない。これはあくまで、一神教を信じていない(知らない)ひとに向けた、ひとつの「意味のない人生」を前提にしたソリューションであることを理解してほしい。
「どうでもいい」は主観だが、「意味がない」は神のない世界には客観的な事実だ。
意味のない世界で生きている我々には、「意味がないからこそ」のチカラが備わっていると思うのだ。
ここで注意しておきたいけれど、ぼくは「どうでもいい」ということに、特別ネガティブな意味は持たせていない。どうでもいい。それ以上でも以下でもない。そこに何か意味を感じるなら、それは読者の認知の問題である。どうでもよさ。それは「あそび」にも近い。
さて、ここからは「あそび」をテーマに、もう少し「臆病さ」と「どうでもよさ」の話を展開していく。ここからオマケ。物好きは読んでいってね。
今日のTips①
・「臆病さ」は執着からやってくる。
・「どうでもよい」を思い出せば怖くない。
・「あそび」にも、そのヒントがある。
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