【エッセイ】朝焼けのなかで、雨に唄えば。
自然は静かだ。それでいて賑やかでもある。散歩はそんなことを教えてくれる。
玄関の扉に体重をかけると、少しずつ広がるすき間から元気いっぱいの朝日が家の中に飛び込んできた。僕は目を細めながら、その間をかき分けていく。朝の散歩は1ヶ月ぶりだった。
前回の散歩は8月の終わりか9月の初めごろ。スマホを片手に、イヤホンを耳に。聴いていたのは、たしかMaroon5の『Sunday Morning』だと思う。そうだ、あの日は日曜日だった。
今回は土曜日。外に出ると、一度立ち止まった。軽く両手を広げて陽の光を受け止めると、自分のからだがエネルギーで満たされるような感覚。じんわりと汗が滲んでくるのがわかった。どの方向に行こうか。答えが出ないまま、僕は朝焼けに向かって歩き出した。
車のない車道の真ん中で歩を緩める。僕は思いっきり肺を大きく広げた。鼻で息を吸うという感覚はなかった。少し冷たい風が喉を渇すと、僕は唾液をゴクリ。息を吐き切ると、自分が少しおおきくなったように感じた。
ちいさな路地に入り込むと、すこし遠くに犬を2匹連れた夫婦が見えた。シーズーとチワワらしかった。僕はいつか犬を飼いたいと思っているので、犬種に詳しかったりする。適度に距離をとりながらすれ違おうとすると、「おはようございます」と4、50代の夫婦。咄嗟のことに声が出なかった僕は「ございます」とだけ。
僕はうれしかった。僕が普段生きている”社会”では考えられないことだったから。こんな社会があったなんて。僕を優しい目で見て、あいさつしてくれた。もう一度言おう。僕はうれしかった。
どれぐらいうれしかったかというと、ステップを踏みたくなったほどだ。そういうわけで僕は、「I'm singin' in the rain ~ 」とうろ覚えで口ずさんだ。雨など降っていなかった。むしろ雲ひとつない快晴だったが、僕は英語が得意ではないので気にしない。実際にステップを踏んだかどうかは内緒にしておこう。
このうれしさ、この感動を広めたい。そう思った僕は、今度は自分から挨拶しようと思い立った。ちょうど向こうから60代くらいの男の人が近づいてきたので、口を「お」の形にしつつタイミングを見計らって声を出した。
「おつかれさまです」
間違えた。やってしまった。
男の人は困った顔で会釈。僕の方は、何事もなかったように平然を装っていた。恥ずかしいし、Tシャツが汗でビショビショなので、家に帰ることにした。
人生はいつも思い通りにはならない。そう考えると、人間は自然なのかもしれない。僕は今、いちばん近くの自然をみつけた。静かで賑やかな、そういう人になれるだろうか。