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深堀喧嘩騒動の舞台、大音寺坂 @長崎市賑町


こんばんは。肥前歴史研究家(自称)のひとみです。
以前note記事にした「深堀喧嘩騒動」の舞台となった長崎市の大音寺坂付近を訪れる機会がありましたので、写真を撮ってきました。

*深堀喧嘩騒動の記事はこちら。


大音寺坂は長崎地方検察庁と長崎地方法務局の間にある石段で、キリスト教が盛んだった天正期に「ミゼリコルディア」というキリシタン組織の本部が建てられた場所です。

上から見た大音寺坂。右が長崎地方検察庁、左が長崎地方法務局です。
ライオンズクラブにより建てられた
長崎喧嘩騒動(深堀喧嘩騒動)の説明板。
当時の面影の残る石段です。
下から見上げた大音寺坂。
ミゼリコルディア本部跡の碑。天正11年(1583)日本人キリシタンのジュスティーノと妻ジェスタによって建てられました。 ミゼリコルディアとはポルトガル語で「慈悲」という意味で、ここにはキリスト教の精神に基づく病院や孤児・老人施設がありましたが、禁教令後の元和6年(1620)に壊されました。


実は筆者はとある別の「跡地碑」を撮影するために付近を訪れたのですが、建物工事により敷地内に立っていたその碑もテントに覆われて撮影できませんでした(泣)長崎市内にはこの様な「跡地碑」などや、最近では「長崎さるく案内板」が建てられたりしていますが、工事などにより覆われたり撤去されたりすると歴史的価値のある場所だとわからなくなりますよね。こうして記録を残すことや伝えていくことは大事なのだなぁ、とあらためて思いました。

近くの長崎地方法務局の敷地内に「小曽根邸の跡」碑と坂本龍馬の妻であるお龍さんの銅像、通りに「フロイス通り」の看板がありましたので、写真をご披露してこの記事を終わりたいと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

法務局の敷地内にある小曽根邸の跡の碑。小曽根家は江戸~明治期の
長崎の豪商で、坂本龍馬と海援隊を支援した小曽根乾堂で知られています。


法務局の敷地内にある坂本龍馬の妻、お龍さんの銅像。
長崎の小曽根邸に滞在したお龍さんが月琴を習ったといういわれから
作られた像らしい。2018年2月撮影。


法務局のある通りを通称「フロイス通り」といいます。
ルイス・フロイスの布教活動をたたえてポルトガル大使が命名したそうです。
(「ながさき・ポルトガル ミニミニさるくMAP」より。)


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ひとみ
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