『私小説のために』②新しく美を構想する力
『私小説のために』の後半部分で福田は話を、西欧の私小説から日本の私小説に転じる。
そして、特殊児童の絵や民芸と、芸術とを区別すべきことを説く。
前回にも書いたが福田にとって、生活とはあくまで生活である。芸術とは、生活のうちにありながらもそれを超えんとする意思である。両者はつながっているが、間には境界線がある。
一般に古代における民衆にとって、芸術とは生活の方法の一つでしかなかった。たとえば、狩猟の成功のために踊り、生活に利する恵みを神々に祈る —— それは生活を超えようとする意思というよりはむしろ生活そのものである。すなわち古代人にとって芸術とは魔術であり、生活の一手段でしかなかった。
福田はここから、飛鳥時代の百済観音像や、鎌倉時代の無著像・世親像に言及するが、言わんとすることは上の一事であろう。すなわち、「伝統は自己の背に光背として輝かすべきものであつて、眼前に弄玩すべきものではない」ということだ。古代・中世の芸術作品を観て、その美に受身に耽溺し称揚する人間を、福田は批判しているのである。
福田は言っているようだ。
諸君よ、少しはそれらの美を造型しえた意思に想いをはせてみよと。外面的な完成や伝統を無批判に称揚するのではなく、それらを生んだ造型意思をこそ見習うべきではあるまいかと。諸君にはそれがあるのかと。
「伝統は自己の背に光背として輝かすべきものであつて、眼前に弄玩すべきものではない。」古代の芸術の美は、古代の人間が生活のうちに生活を超えんとした造型意思である。それでしかない。そのたんなる無責任な耽美からは、新たなものはなにも生まれはしないだろう。
新しく美を構想する力なくして、なにが自己を描くだ、肖像画だ、自画像だ、私小説だ、なにが芸術だ。