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認知症、統合失調症。凸凹夫婦の爆笑の日々。
今日は私の訪問看護の日であった。
ケースワーカーさんとたまたま認知症の話になった。
認知症といっても、様々な種類がある。
ケースワーカーさんは、認知症病棟に勤務していた経験もあり、また、家族会などの運営などもしていた経験もあり、いろいろなお話になった。
家族が認知症になり、ケアしていく上で1番問題になるのは、当事者の方と配偶者の方との感情的な問題だそうである。
例えば、怒りに対して、怒りで対応してしまったり、思い込みをぶつけられて、怒ってしまったり、発症前愛情があった分だけそれが憎しみに変わってしまったり。
我が家は、私が統合失調症で、お父さんは血管性認知症であるが、日々笑って冗談の応酬をしている。
お父さんが血管性認知症の症状が少しずつ顕著になってきた昨今であるが、我が家では笑い合うことが以前より増えた。
私が疲れて居間で眠りこけてしまえば、お父さんは私が風邪をひかないように、起きてストーブを調整し、私が起きるまで見守っていてくれたりする。
私はお父さんが、何かを見つけられなかったり、どこにやったか忘れてしまったりすれば、それを見つけて、お父さんに渡し、それだけで物事は解決する。
例え感情面で、怒りやパニックや興奮が伴っていても、お父さんは、『お!さすがだな!』とそう言って気持ちを切り替える。
お父さんは死ぬまで勉強だと言っており、日々脳トレをしている。
私や私の友達たちを笑わせてくれたり、私が物事をお父さんに報告すると、冗談を交えながら、真摯に思うところを伝えてくれる。
例えば、認知症と言えば、忘れやすくなったり、感情の起伏が激しくなったり、思い込みが偏って強くなったり、といった特徴が一般的である。
我が家においては、これらのことに関しては、それで問題が起きるということがない。
どうしても重要な事は、お父さんは、自主的に自分に強くインプットして、例えば薬の時間や寝る前にストーブを消すなど、忘れそうであれば、私に『忘れるから何回でも言ってくれな!』そう言ってくれる。
例えば、何かを忘れても私が覚えているので、さしてそれは問題にならない。
『忘れちゃった?まぁそういうこともあったんだ』
思い出話のようにそう言って終了である。
忘れたって日常がどうこうするわけでは無い。
例えば、血管性認知症の特徴である、癇癪。
我が家に限っては、お父さんの癇癪は、若い頃からそういった性分があり、今は歳をとってとてもマイルドになっているので、それで困る事は一切ない。
何よりも、今のお父さんは、深い愛情に満ち溢れ、深い慈愛に満ち溢れ、泣きたいくらい優しくて、自分よりもいつも私を優先して、私の友人たちを愛してくれ、ユーモアで、私や友人たちの気持ちを明るく和らげ、時に悲嘆に暮れていても、思わずほっとするような暖かな笑いで包んでくれる。
お父さんと今日、お父さんが私にしてくれた統合失調症のリハビリの話題や、どうやらよそのお宅では、認知症で、いろいろ問題があるようだが、我が家はあんまりないねといった話題をした。
お父さんは、私の統合失調症のリハビリをしてくれていた時、なるべく私が『私は病人なんだ』といった意識を持たないように、ゆっくり自然に行うことを意識したと言っていた。
『自分が病人だと、自分自身を定義付けしばってしまうことほど、リハビリの妨げになる』
お父さんはそう言っていた。
私は端的にお父さんに聞いてみた。
『お父さん。お父さんは血管性認知症と言うやつだけど、うちいつも笑ってるよね。困らないのはなんでだろう』
お父さんはこう言った。
『笑いだよ。ユーモアは常にあるべきさ。どんな時でもな。そして後はあきらめないことさ。俺はまだまだやる気満々で、死ぬまで勉強だと思っている。だから、忘れたとしても、気にせず新しい情報をどんどん取り入れるのさ。忘れたら覚えればいいじゃないか』
目から鱗だった。
お父さんに感服した。
まだまだ私はお父さんから学ぶところが多い。
お父さんが色々と、血管性認知症とおぼしき様子が増えてきたとは言え、私がのんきにお父さんに甘えて居られて、お父さんは相変わらず私を包み込むようにいてくれる。
我が家はいつも冗談の応酬ばかりで、例えば友達が凹んでいても、お父さんが笑わせて励ましてくれたり、助言をくれたり、ゆったりとした安心感のある時の流れの中で、私もお父さんも慈しむように日々を送っていられるのは、お父さんのこういった懐の深さや気遣いや、何より、その愛の深さのおかげであるのだ。
私は、お父さんの年齢になって、例えばお父さんみたいに血管性認知症をお父さんみたく患ったとして、お父さんのような心境で、周りを優しく包んで、ユーモアで暖かく日常を潤すようなキーパーソンに果たしてなれるか?
いや、いや、無理だろう。
人生経験が違いすぎる。
懐の深さが違いすぎる。
細やかな気遣いや配慮と言うものをスマートに身に付けているお父さんだからこそなせる技である。
お父さんに学ぶべきは、まだまだ山のようにある。
この心の深さを私は学ぶべきである。
私は、今まで、お父さんの1年間の入院中も含め、いろんなお父さんを見てきたけれど、どのお父さんも愛しかった。
どんなお父さんにも、ハートを鷲掴みにされてきた。
そして、今のお父さんに、もう人生、何百回目の大恋愛中である。
今日のケースワーカーさんとのお話で、様々な認知症のご夫婦の話を聞いたが、ピンとこなかった。
なんでそんなに悩むんだろう?
なんでそんなに自分を責めたり相手を理解できなかったりするんだろう?
単純によくわからなかった。
そして、お父さんと話してよくわかった。
相手がお父さんだから、お父さんと言う人であるから、私が認知症と呼ばれる状態の配偶者に対して何の苦労もなくいられるのだ。
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25歳上の夫・『お父さん』(ボビー)との日々
25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。
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