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『崩れる記憶、優しい一行』

認知症ではない人が、『浮世の苦労を忘れるために認知症になるんだって』などと夢のような話をするが、それは間違いである。

認知症の当事者である人が抱える不安と言うものは、計り知れないものがある。

令和2年、お父さんは外傷による後遺症で血管性認知症を発症した。
脳膿瘍の手術の後遺症であった。

全くしゃべれない、恐ろしい妄想の最中に陥るなどの重篤な状態になり、朝8時から消灯まで私しか個室に寄せ付けなかったお父さんの精神状態を考慮して、まだ歩けないまま、リハビリ途中で退院させ、自宅へ連れて帰ったのだった。

しばらくの間は、認知症の治療薬であるイクセロンパッチを使いながら生活した。

脳トレやリハビリを重ね、お父さんは、スマホの使い方も、Googleの使い方も、パソコンの使い方も1から本を読んで勉強し直し、現役時代のように頭の回転の速い、口では絶対負けない理科系の頭を持った、ワードもExcelも使いこなせるいつものお父さんまで回復したのだった。

特に関心のない昨日、今日の事を忘れる程度だった。

時にせん妄があったり、独語が止まなかったりと言うのは残った。

それ以外は、私が長時間出かけても、友達が来て数日別々に眠って好きなようにしてもらっても、全く問題なく過ごせ、お父さんも悠々自適に趣味をやっていたりした。

こんなこともあった。
土地の問題で、権利を放棄してくれと、弁護士に言われた人から頼まれて、お父さんが弁護士と話し、その弁護士がぐうの音が出ないところまで話を詰めて、権利を放棄する代わりに、それなりのお金をその人にちゃんと譲渡することなどといった問題を片付けたこともあった。

お父さんが調子の良い時期が続いた。
私はすっかり安心して、お父さんに甘え切っていた。
昔みたいに、お父さんは私を包み込んでくれて、お父さんの方がしっかりしていた。

少し前からお父さんはTo Do リストをつけ始めた。
忘れてしまうことをメモに書き留め、日記と言うシールの貼られたバインダーに、忘れる前に、物事を全部書き残すようになった。

カレンダーには、すべての予定が書かれ、お父さんはそれを見ながらGoogleカレンダーに予定を書き込んでいく。
お父さんが退院してからずっとだけれど、『今日』を示す付箋紙を貼り、夜中に私がそれを翌日に移すことで、お父さんは日にちを確認していた。

お父さんは、一時期、カレンダーを何度も確認して予定を把握し、私を起こしてくれたりとか、予定の時間に合わせて準備をしたりとか、私に用事があることを知らせてくれたりとか、非常にこまめにやっていた。

そのうちカレンダーを見なくなった。
部屋中に貼ってあった忘れないための付箋紙も取り払われた。
付箋紙に何か書かれて貼られることがなくなった。
ひっきりなしに書類を移動してはどこに何を置いたのか全部忘れるようになった。
なじみのない人が来ても、その記憶をすっぱりと失うようになった。

そのうち、記憶に深い人の名前も間違えるようになった。
言葉が出てこないなぁ!俺もついに来たかなぁ!
初めは、そんなことを言って笑っていた。
でも、我が家のゆっくりな暮らしの中では、何も困る事はなかった。

血管性認知症と言うものは、重篤な部類ではなく、いわゆるマダラボケと呼ばれるものである。
薬の時間にはちゃんと起きてくるし、料理のレパートリーだって広い。

けれども近頃、少しずつ少しずつ、お父さんの料理は、らしくない味の料理になったり、鍋の水の量を加減できず、鍋を持てなくて、沸騰させたお湯をぶちまけてしまったり、台所に2人で立っていて、途中からそわそわイライラして、できなくなって私に任せて疲れ切ってしまったりするようになった。

ヘルパーさんが来たときに、買い物メモを必ず書く。

お父さんは、頭の中でイメージした料理の材料を書く。
そこに私がいて、話しながらではないと言葉が出てこなくて、ぶち切れてしまうようになった。

台所はお父さんの聖域だ。
お父さんは、自分の流儀でラックの調味料を並べている。
ヘルパーさんに少しでもそれを崩されると、途端に、パニックに陥り、探せなくて怒ってしまうようにもなった。

私はいつもお父さんの必需品は、移動する時、どこに置いたか必ず把握する。
今までは大体決まっていたので、チラッと見れば、私は見つけられた。
近頃は、不思議なところに隠されていたりする。

お父さんの言葉が整頓されなくなって来た。
何かを説明しようとしても、行き先がわからなくなる。
政治経済の話、国際情勢の話、お父さんの得意分野であった。
話したいのに、脈絡が崩れていく。
単語がループする。
言葉を忘れてしまうのだ。

それに伴い口数も減った。
ニコニコしながらYouTubeをテレビで見ているか、うたた寝をするかの日々になってきた。

ニュース番組をつけていても、音声を聞こうとしない。
あれだけ好奇心旺盛だったお父さんが、無難な番組ばかり選ぶようになった。
複雑な物語は、途中から顛末を忘れる。
何度も何度も見た知っている映画を好んで見るようになった。

私たちの会話はゆっくりである。
大きな声で、単語を滑舌よくゆっくりゆっくり、短く話す。
長い話はお父さんはわからなくて怒ってしまうからだ。
例えば1行で理解できるような喋り方で、私たちは話す。
それが、2行になってはだめなのである。

お互いに、優しいトーンでのどかにゆっくり柔らかく。

私の不在は、おそらく1時間程度が限度だろう。
私が不在の時、お父さんは必ず昼寝をしている。

私がスマホを見ない理由は、お父さんから違うものに目を向けて集中してしまうと、お父さんが途端に不安になるからだ。

いてもたってもいられないような、そわそわとして、イライラとして、真っ暗な顔になって、うつむいてばかりいる。

そんなお父さんは見たくない。

忘れると言う所在なさが、どれだけ心元なくて怖いことか。
できなくなると言うことが、どれだけ怖いことか。
わからないと言う事は、恐ろしいことなのだ。

今、自分がわからなくなる。

それがどれだけ恐怖なのかは、私は自分が統合失調症だからよくわかる。

両親にも話した。
今、葬式があっても私は行けない。
どうか体に気をつけてちょうだい。

我が家では、私たちのちょっとちぐはぐな、だけど、暖かい、ゆったりとした優しい、短い会話が、いつも同じように繰り返されている。


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25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

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