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血と繋がりと日々と。
凡庸な、一見凡庸な時間と言うものを紡ぐということが、どれだけなみなみならぬもので、こうも困難なものなのかと、瞬間瞬間思い知らされる。
私たちがひととき穏やかに笑い合う、そのたったひとときをこしらえるために、深海の中で外れた酸素ボンベを手探りで探し、慌てて口に突っ込むような場面もあれば、断崖絶壁のギリギリを急カーブで何とか曲がりきるようなそんな連続もあれば、昔の西部劇の、『お前は2で銃を抜け。こちらは3で抜いてやる』と、どう見ても打つのが早い相手に、そう言って対決を迫られるような場面もある。
それは主にお父さんの体内で起こっていて、ときには、私の体内でも起こる。
そんなこんなと日々をクリアしながら、この手に得ている小さな安寧は、私たちの意思において重くて、しかし存在において軽い。
その軽さは残酷である。
しかしながら、私たちはお互いの持ち得る表層のすべて、姿形、声、表情、喜怒哀楽、皮膚や肉、肉体が立てるすべての音、手足の力加減、肉体の持つ様々な重さ、それらを日々お互いの手がかりとして、お互いを確認しあい、ただそのもの、それをそのまま抱擁することでしか、『この世』の私たちをたどり切れないのかと言うと、そうではない。
どんなに深い眠りにおいても、私は魂のあり方の気配では起きて、お父さんをこちら側に引き戻す。
吐息。
もう細くささやかなそれが止まった時。
魂がいよいよ抜けようとしていると飛び起きてはこちら側に引き戻す。
先日の顎呼吸からも、私はお父さんをこちら側に呼び戻した。
私が、お父さんを手繰るように引き戻すのはいつまで許されるのだろう。
思わず、こんな言葉が出た時があった。
『お父さん、お父さん!私も連れてって!!一緒に連れてって!!』
そんな言葉と涙の後、お父さんはうんと伸びをして目を開け、『まだ起きてたか?しょうがねぇなぁ!こっち来い』そう言ってお布団に入れ、私を抱いて寝た。
日々の中で、私たちは変容していく。
私は『まだ逝かないで』とお父さんに、お父さんは『わかった』と言った。
私たちは今、最も言葉を交わしたいのがお互いであり、今最も触れ合いたいのがお互いであり、お互いの匂いで、嗅覚を満たしたく。
過去とはなんだろう。
おそらくは身を焦がし続けた記憶である。
今とはなんだろう。
何一つこぼしたくない瞬間瞬間である。
どんな感情も感覚もその瞬間を全て取り込んで、痛みや涙であっても、全身で取り込み続ける貪欲で静謐な沼である。
私は私がお父さんによって、既に潤沢に花を咲かせ切り、満足と言うものを経て、今では、濾過した水を湛えていることを知るべきである。
私が手放すべきもの、手放すことで与えられるもの、得られるもの、お父さんに受け渡せるもの。
手放すべきものは、一切の恐怖であり、得るべきものは慈愛と言う凪であり、お父さんに渡すべきものは、私たちの見出した普遍である。
私たちの普遍とは、初めから、私たちはお互いを最初に見つけたのだと言うことである。
初めて言葉を交わし、目と目があった時から始まっていたということである。
お父さんは女がいなかった事はなく、私は男に関してやさぐれるような人生を送ってきたが、恋をしたのは、お互いに初めてだったのだ。
初めての時、私たちはこう言い合った。
『こんなに仲良しなのは初めてだ。いっそ私たちがもっと血の濃い兄と妹だったら苦しくないのに』
私たちは、残酷なことに、男と女で、恋に落ちたから苦しかったのだ。
その残酷さを取り払って、私たちがもっとひとつに重なり合うには、17年の年月と色欲からの解脱と、肉体の老いとが必要だったのだ。
『死』が、その悲しみの意味をなくすために、私たちは数々の小さな約束を見つけては話している。
そして『生』をひとつひとつやるために、生活の様々な小さな事柄を二人で大切に行い続ける。
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25歳上の夫・『お父さん』(ボビー)との日々
25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。
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