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人と人の編み目の手触り(私たちにできること) /「文化の脱走兵」 奈倉有里

今日、ご紹介する本は、奈倉有里さんの「文化の脱走兵」(講談社 / 2024年出版)です。

ロシア文学研究者で翻訳家の奈倉さんが、ロシア留学やロシア文学を通して知り合った仲間たちの今、戦時下で起かれている状況について、彼らに寄り添いながら、出せない声も取りこぼすことのないよう、繊細に伝えてくれる本です。報道されないロシア市民の内実も垣間見ることができ、どの国も一色ではない、一人一人の人が心を持って暮らしているのだと生々しく思い知らされます。映像とはまた別の、細い糸で作ったような人と人の編み目の手触りは文学だからこそ伝わってきたと私は思います。


その人の本質は国の名前ではないはずです。しかし、私たちは、その枠組みに押し込めようとしてしまう。分かりやすいからでしょう。

国の名の下で軋轢が起こり、戦争だって起こる。本当は人によって異なるはずの生活や思いや、家族や友人がいるのに、一括りにされ、戦争に駆り出される、あるいは攻撃される。めちゃくちゃにされる。殺される。

なんて不合理で酷くむごたらしい世界なのだろう。

しかし、奈倉さんは、美しく豊かな自然や人同士の温かい絆、そしてもちろん素晴らしい文学についても、決して忘れたりはしない。ともすれば悲しみに支配されてしまいかねないとき、世界は喜びにだって溢れているのだと思い出させてくれる。

本の中では、著者の懐かしい記憶がいくつも登場し、今と過去を行き来します。そして、場所と場所を行き来し、人と人、文化と文化を、行き来する。私は世界ってそういうものだろうと思うのです。時間や場所や人や文化、全ては同時にあって、想像のなかでは自由に移動できる。現実の今は中々むずかしいけれど、でも、いつだって心は自由なのだから。

奈倉さんは鯨になって、本の海原を悠然と泳いでいく。

その鯨は視界に入らないくらい大きくて、猫背で、巨大な翼を持っている。猫のように背を丸めているのはもちろん本ばかり読んでいるせいで、翼があるのは物語の世界にいつでも飛んでいけるように。時には誤植のせいで母音が「イ」から「オ」になり、屋根にかけのぼってニャアと鳴く。本を読むのに飽きたら、こたつに入って眠ろう。

文化の脱走兵「猫背の翼」より

(*ロシア語で猫は「コート」、鯨は「キート」という)

しまいに、現実の奈倉さんは雪深い新潟の柏崎市に引っ越しをします。そして、狸になるんだそうです。狸とは? その意味は、ぜひ、本書を読んで理解してほしい。奈倉さんらしい、世界との向き合い方だと思うから。


私の好きな一文。

その川には一箇所、急に深くなっているところがあって、あやうく足をとられて沈みかけた。「あ、沈みそうだ」と思った瞬間はものすごく焦ったけれど、そうだ、焦っちゃだめだ、ほんの1~2m泳げば浅瀬なんだと思い出して大きく手を掻いて泳いで、なんとか助かった。一瞬のできごとだったけれど、あの瞬間のことをあとになってふと比喩的に思い出すことがある。もうだめだと思ったときも、あとひといきだけふんばれば、助かるところはすぐ目の前にあるかもしれない。それを忘れさえしなければいいのだと。

同タイトル「こうして夏が過ぎた」

ここまで、読んで下さりありがとうございました!

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