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【効く名文】人生に関わる仕事の「不安と葛藤」/「怒りのぶどう」②
「怒りの葡萄」は、ノーベル文学賞作家のジョン・スタインベックによるアメリカ文学。初版は1939年。ピューリッツァー賞受賞。
翻訳家が出版社によって異なります。私が読んでいるのは、岩波文庫(大橋健三郎訳)です。
主人公・ジョード(殺人の罪で仮釈放中)と元カリスマ説教師・ケイシーの会話場面の続き。
誰かの人生に深く関わることは、光栄である一方で、不安ものしかかってくる。私が信じるものは、果たして「本当」だろうか?
「牧師として『イエスさま』を愛しちゃいねえのか?」と周りから聞かれることについて、元カリスマ説教師・ケイシーがジョードに不安と葛藤を口にする。
『いや、おれは、イエスなんて名前のひとはだれも知っちゃいねえ。話はどっさり知っているが、おれの愛しているのは人間だけなんだ。それに、ときどきおれは胸がはちきれんばかりに人間を愛するし、人間を幸福にしてやりてえんだ。だからおれは、人間を幸福にするにちげえねえと自分で考えたことを説教してきたんだ』
「それで―― あの洗礼はおまえさんに何か役に立ったかね?行いがよくなったかね?」…(中略)…「ところで―― そのために何か悪いことがあったかね?ようく考えてみてくれ」 ジョードはびんをとりあげて、ぐいと一口あおった。「いいことも悪いことも、なんにもありゃァしなかったさ。ただ面白かっただけさ」彼はびんを宣教師に渡した。…(中略)…「それァ結構だ」と、彼はいった。「おれは、迂闊なことをして、ひょっとしてだれかを傷つけやしなかったかと心配していたんだよ」