文から受け取るもの
オーディブルで聴いた本のあらすじはおろか、テーマすら取りこぼしている。
一人ではそんなことには気づけない。
友人が読んだり映画で観た作品の話を聞いて、はて?そんな話だったかな…
文字であれば不明瞭な場合紙でもデジタルでも遡って確認するのはたやすいが、オーディブルではブックマークしていない箇所を後から探すのは容易ではない。
打ち明けると、ミシンなどしながらながら聞きしているのもあり、ミステリーの詳細なトリックや複雑に絡み合う人間関係や時系列など、うやむやにしか分かっていないことも多々ある。
それなので、オーディブルで聴いた本については読書と呼ばず、読書感想文のハッシュタグを付けない。
ただしこれは、あくまで私個人の聴き方に因るからで、オーディブルは読書とは言えない、なんて言うつもりはありません。
もっと言えば、本(タイトルは文としたのは、本に限らず文だから)を読んだり聴いたりして、受け取るものは人それぞれだと思っている。
仮にミステリーの謎解きが全く理解できなかったとしても、登場人物の人となりに注目した、とか、時代背景の描き方が面白くて、とか、読みどころ(聞きどころ)は人それぞれでいいと思っている。
特にオーディオブックは、ナレーターの個性が大きく作用するので、読む読書と別の楽しさもある。
話の筋はなんだかよくわからなかったけど、楽しかった!
なんてことも多々あるのだ。
実際本を読んだ場合でも、私の能力ではほとんどが忘却の彼方だ。
けれども、昔読んですっかり忘れた本を読み返すと、数々のエピソードや文脈から、それらが現在の自分を形作るのに大きく関与寄与しているのに気づく。
こんな時にこんな考え方をするのは、そうかこの作者のこの本の中の一文に知らず惹かれていたのだな、なんて気づいたりする。
それなので、読み終わった本も処分できないし、聴き終えたタイトルもあっさり削除できないのだ。
ヘッダーはこの間の模様替えでダイニングルームに移動させた絵本。
帰省した次男(32歳)がさっそく、手にとって読んでいました。
子どもの頃に絵本を読んでもらって良かった、と言うのでとても嬉しかったです。