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フロー

ポジティブ心理学講座で、意図的に没頭するflowフローの状態を保つことが充実した人生につながるらしいことを知った。

丁寧に探ってみると日常の中で知らず知らずフローを体験していることがあるという。

講座で、子どものころの記憶を遡って今に至るまでの、フロー(と思われる)な体験を書き出してみた。

例えば、私は絵が好きだったので、算数や理科の授業に比べて、図画工作は時間が早く過ぎるように感じていた。

小学生三年の時だったか、未来の都市を描くというテーマで、建物に使った灰色が足りなくなりどうしても再現できず、それで二時間終わってしまったことがあったのを思い出した。

もう六十年近くも前なのに、あの時の没頭ぶりを具に思い出せる。
いや、後から辻褄合わせ的に脚色して書き換えられてはいるのだろうけれど。

中高時代の部活、吹奏楽の合奏もフローだった。
今だって、大きな声で人に言えない超初歩的な大人のピアノ(初心者歴十年)を習っている。
なかなか練習に向かないので全く上達しない。
練習時間が取れないのだ。
なぜなら、練習を始めると夢中になって瞬く間に時間が過ぎてしまう。
そのおかげで夕食の支度が遅れたり、約束の時刻を守れなかったりするから、適当にやり始めると困るのだ。

でも、ピアノはレベルが低くてもそれなりに必ず練習の成果が現れる。
それに終わった後爽快だ。頭から悪いものが抜け出て、いいものに満たされた気持ちになる。
フローになる条件が揃っているのだ。

このnoteを綴るのもフローな状態なのだと思う。
なぜならあっという間に時間が過ぎているからだ。

ミシンキルトや洋裁もフローな気もするが、そうでもない。
ミシンを操っている最中は確かにそうだけれど、それよりは布に印をつけたり裁断をしたり、そういう下準備にかかる時間が大半なのだ。

それよりはハンド・パッチワークや編み物がフローな状態になりやすい気もする。

どちらも一人でしていれば没頭するだろうが誰かと話しながらも十分できるから、それはフローではないかもしれない。
しかし、楽しいおしゃべりもフローな状態なのだそう。
するとフローの二刀流!?
どうなんだろう?
次回講師に質問してみよう。

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