只見線のあるまちにて2021/10/22
はい、今日は天気予報がはずれ、寒いながらも太陽が顔を見せてくれました。もう、慣れっこになっちゃって、天気予報は参考程度にします。
昨日、写真のストックがないと書いたのですが、よく探してみると数枚あったのですが、どうせだから今日は写真撮りに出かけようと思ったのです。
かと言って、あまり遠くに行けるだけの気力は無し、とりあえず只見線が本郷陸橋に駆け上がる、あのいつもの場所で撮ることにしたのです。
その後については本文の中でおいおいと。
それでは、いつも通り生暖かく見てやってください。
・街サイド(2021/10/22)
今日は午前九時頃に寝たのですが、あまり眠られずに正午過ぎには起きてしまったのです。当初は写真撮りに行かない予定でしたが、只見線午後の2本に間に合う時間だと思って、ジーンズをはき身支度を整えたのです。久しぶりにいつものポイントへ行くと、残念ながら草は生えたままだったのです。
今日は遠くまで出かける気力はなかったので、とりあえず西若松駅へ向かい、いつものところへ行くルートを考えたのです。そう言えば、ここの踏切で昔2月ごろ高校生が、就職や車の話をしていて卒業式間近だなと思ったのですが、あの10何年前の高校生は今はどうしているのか気になるのです。
noteを振り返って見ると、西若松駅は会津鉄道の物なのか、JRの物なのか、真剣に悩んだことがあったのですが、たぶん運用は会津鉄道に任せているような感じがします。じゃあJRは何をしているのかと言うと、う~ん、なんなんでしょうね。こういうとき詳しい人がいると僕は助かるのですが。
今度は上りの只見線がやって来るので、フェンス越しににでも眺めてやろうと思ったのですが、その前に最強の車ベビーカーが現れたのです。子供は中でねじれた格好をしているようで、なんだってそんな窮屈なことをしていなければならないんだと、ぜひとも聞いてみたいような気がしたのです。
3番線に会津線の下りのお座トロ列車が止まっているところに、只見線の上りが2番線へと入って来たのです。ここですれ違いをするのはわかったのですが、そう言えば、お座トロ列車が少しばかり変わったような気がして、今度よく見てみようと思うのですが、僕は忘れてしまうかもしれません。
2番線に停まった上りの只見線は、おそらく3番線の下りの会津線が出発するのを待ってから、出発するものと見られ、コロナ対策にしても十分すぎるほど乗車ドアをあけ放ったままにしています。只見線開通50周年のステッカーが貼ってあったのですが、何か記念列車は走るのか気になるところです。
只見線を2本撮ると、いつものようにいつものところへと向かったのですが、途中気になるものに出会ったのです。それは除雪機なんですが、いつ通っても片付ける様子もなく、カバーをかけておくわけでもなく、これっていざというときに使えるのだろうかと他人事ながら気になったのです。
除雪機はよく見るとHONDAで、そのわきにはYAMAHAの原付が錆びついています。どちらが先にドナドナされるのかわかりませんが、これはなにやらHY戦争のようだなと、最近知った言葉を使ってみるのです。そして、写真を撮り終えると僕は、いつもどおりいつものところへと向かったのです。
今日はここまでです。
今日は無茶をしないで、自分で行けるだろうという範囲内で動いてみました。行ったきりで帰ってこれないでは大変なことになりますから。
それにしても、見出し画像にも使った大川陸橋へと駆け上がって行く只見線の線路わきは草刈りとかしないんですね。
よく2008年9月に草のない写真を撮れたなぁと、今でも感心しています。もう一度、あの夕焼けへと進んで行く只見線を撮りたいのですが・・・。
今週末と来週末、只見線では風っこ号が走ります。明日はあいにく天気が悪いので、撮るなら明後日の日曜日でしょうかね。
風っこ号を、今週末は会津若松市内で、来週末は会津美里町で撮影できるといいなと思っているのですが。
只見線開通50周年だそうですが、40周年のときの記念列車はディーゼル機関車で旧型客車を引っ張っていました。写真も一応撮ってあります。
会津若松駅待合室のステーションギャラリーに、その写真を展示してもらってますので、お近くの方はどうぞ見にいらしてくださいませ。
そう言えば、芸術作品展が来月の7日締め切りなのを、まだいいや、まだいいやで先延ばししてきた分、今頃になって尻に火がついた状態です。
と言うことで、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
それではまた。