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ベースボールクラブの思い出 その肆
最初に
兵庫県でも社会人になって野球をしていた時期があった。
三洋電機の軟式野球部が有名であった時代である。
対戦したことはなかったが、試合をよく観にいったものである。
目的はトップレベルのプレーを観たかった。
今もたまに、兵庫県軟式野球連盟の情報を仕入れている。
3級だが、OFFICAL UMPIREの資格を保持している。
2020年に入り、今はまだ活動できていないのだが、下期に向けてリハビリを続けていきたい。
灼熱の2連投
軟式野球の都市対抗丹波市代表を決める大会に出場していた時期が
あった。
決勝まで6試合はこなしただろう。
全試合、独りで投げぬいたものである。
1日2試合は当たり前だった。
今は、球数制限とかリトルリーグなどで採用されているが、そんな時代ではなかった。
普通に投手ができたのは、40歳までだろう。
現在は、肩を壊しているので現役選手としては少し退いている。
野手くらいならできるだろう。
それでも、投手にこだわりたい。
☆
準決勝進出を決める前日だった。
優勝すれば、各市町の代表で出場できる大会の前日である。
高校時代に野球部で仲がよかったコーチの高校教師から連絡があった。
「実戦形式の練習がしたいので投げてほしい」とたのまれた。
高校を卒業して、4年は経過していただろう。
よく高校生の野球部の練習にさし入れを持って行ったものである。
☆
とりあえず、練習に参加させて頂いた。
多分、上着はサッカーのユニフォームであっただろう。
試合の前日なので上着がなかった。
今思えばTシャツでもよかっただろう。
過去なので、まあいいとしておこう。
そういえば、サッカーもやっていた経験がある。
また、サッカーの記事でも書くことにしよう。
☆
野球の話にもどるのだが、とりあえず投げてみることにした。
久しぶりの硬式のボールである。
あまり、肩には違和感がなかった。
久しぶりの母校のマウンドである。
卒業して以来の母校のマウンドに立った。
意外に気持ちのよいものである。
とりあえず、打者一巡するくらい投げてみた。
結構、投げれるものである。
先生から「もう少し投げてほしい」と言われた。
調子が良かったので投げた。
100球以上は投げただろう。
翌日ー
筋肉痛である・・・・・。
そのまま、都市対抗の代表を決める準決勝に臨んだ。
8月の真夏日である。
とりあえず、暑かった。
先発投手は僕だった。
危なげなく準決勝は、3-1で勝利した。
そうして、決勝までたどりついた。
灼熱の2連投に突入する。
少し肩に違和感があったものの投げる事にした。
結果は0-2で負けた。
エキサイトしたので身体が焼けるように熱かった。
負けたのだが後悔はなかった。
あえていうなら暑かっただけである。
最後に
試合後の反省会で前日、高校野球の練習に参加したことを監督に話したら怒られたような記憶がある。
どうでもよかった。
何を優先するかは、個人の自由である。
今でも、後輩達は僕の事を覚えていてくれている。
10年以上経過しても・・・・。
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