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祈るという習慣
僕のプロフィール画像からは、考えられないと思いますが地味に『祈る』ということを習慣にしています。
朝は「今日も一日守って下さい」
寝る前は「今日も一日守って頂いてありがとうございました」
で一日が終わる。
何に祈っているのかは、よくわからないが多分、先祖とか守護霊とかであろう。念のために宇宙霊も含んでおこう。
手を合わせる動作。
言葉による出力。
よき事を思うイメージ。
意外にも上記の三つの行動はポジティブになる『一隅流3点セット』である。
なぜ習慣になっているのか小学生まで記憶を遡ろうとしよう。
小学生の記憶
はっきり言って、あまり学校に行くのが好きではなかった。
良い思い出もあるが悪い思い出のほうも記憶に残るものである。
最悪だったのが、小学3年生の時、授業中に筆箱を隠され「返して!」騒いでいた時である。
授業は学校の教頭先生であった。
うるさかったのであろう。
授業中に呼び出された。
黒板の前に・・・・。
「この子は悪い子です!」
はっきりとクラスのみんなの前で言われた。
隠された筆箱を探していただけなのに・・・・。
悪い子のシンボルになってしまった。
グレてませんけど。
大人なら理由くらい聞いて欲しいと思った。
こういう事もあり、学校に行くのが好きではなかった。
☆
また、当時は親父が毎朝仏壇の前で拝んでから出勤していた。
この影響の方が大きいだろう。
教頭先生に怒られてから、僕も仏壇に手を合わせるようになった。
するとどうだ。
案外、一日が平和に終わる。
平和に終われば自然に「ありがとうございました」と一日に感謝できる。
不思議な感覚である。
習慣化されたスタート地点である。
大人になって
マイホームに仏壇がなかったので『祈り』に変化した。
気持ちが楽になるものである。
気持ちが楽になると、笑顔が増える。
今は、光トポグラフィー検査の結果『うつ病』と診断結果がでた人であるが、笑顔を絶やさない人ではあったと思う。
特に営業の女性とかのやりとりなんて『お笑い』を入れたものである。
まあ、相手にもよりましたが。
サプライヤーに対しても、よく『お笑い』をいれたものである。
笑ながら納期の督促をする。『笑う鬼』といったところだろうか?
部下に対しても笑顔で接する。
困っていそうな時などがそうである。
事情を素直に説明してくれる。
今は家族に対しても出来るだけ笑顔で話すようにしている。
最後に
だいたい、どこの国でも宗教的な文化がある。
人類の歴史からみても、祈らなければ、神様を持たなければ冷静でいられない状況があったのだろう。
また、感謝の気持ちは心の宝ものである。
少し西田文郎先生の言葉をかりよう。
感謝を知ることで、人は自己中心的ではなくなる
感謝を知ると、素直になれる
感謝を知ると、物事に不平不満を抱かなくなる
感謝を知ると、自分の苦しさや辛さは平気になる
感謝を知ると、何にでも喜びが感じられる
『人生の目的がみつかる魔法の杖』より抜粋
祈りと感謝なんてただである。税金かかりませんから。
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