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【紀行文】黒き星が降る聖地を縄文人は目指した 信州の黒耀石体験ミュージアム
諏訪は黒耀石の古里 まずは霧ヶ峰白樺湖にて
諏訪に魅せられた。今年は旅に行こう。年初にそう決めた。
今回の旅は、テーマを「黒耀石をめぐる旅」と題し、友人と一泊二日で出かけた。諏訪には黒耀石の産地や関連する遺跡が数多くあることが分かり、いろいろと下調べを重ね、ぜひこの目で見たい! という場所を選んだ。
静岡県内を朝6時に出て、富士宮経由で中道を通り、中央自動車道に乗る。諏訪南インターで降り、そこから観光地としても有名な白樺湖方面に向かった。白樺湖で一休み。概ねここまで3時間程度だ。
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青天の白樺湖の眺めもよかった。肌寒さを感じるころ合いだったが、気持ちよさそうだったので湖畔を散策すると「信玄の腰掛け岩」なるものがあった。名前通りの伝承があるようだが、看板をよく見ると県指定の文化財とあった。
ここは、先史時代の祭祀遺跡でもあるようだ。白樺湖は昭和28年に出来た人造湖であるが、この腰掛け岩の南側から祭祀遺跡が見つかったらしい。
現在は水没しているが、祭祀遺跡があったと思われる場所に「水神社」という石碑があった。おそらくここだろう。そこから白樺湖を囲む山を見る。蓼科山だろうか、一際目立つ山容が太陽に照らされていた。
おそらくこの山を拝するための場所だったのであろうと思った。当時は難路であったろうこの道を通る旅人が、無事を祈ったのかもしれない。
星くずの里たかやま黒耀石体験ミュージアムへ
そこから少し行くと高山という地区がある。ここは星くそ峠という黒耀石の古里と言われる場所がある。
「星くずの里たかやま黒耀石体験ミュージアム」という施設が最初の目的地だ。まずはここで黒耀石についてしっかりと勉強する。
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平成16年にできたこの施設は、国指定史跡の整備、特にPRの難しい旧石器時代の博物館としては白眉のものだ。
展示も丁寧でわかりやすくできている。併設する黒耀石の体験ミュージアムでは、多くの子どもが楽しそうにペンダントづくりなどに励んでいた。
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科学的な分析により今は流通経路もある程度特定されているようだ
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それは川を下り、諏訪湖周辺に集められ、そこから関東、上越、伊豆方面に流通していったのだろう
ここは長和町というところであるが、ここの学芸員の大竹幸恵さんという方が、かなり素晴らしい見識を持った方のようで、PRの難しい旧石器時代の展示をしっかりとされていた。
この方は、近年「掘る女」というドキュメンタリー映画でも取り上げられているようだ。
展示室の解説は分かりやすく、図説も立体的・視覚的に整理されていた。
この信州の地がなぜ黒耀石のメッカとなったのかというメカニズムや採掘方法、道具などの解説もよかった。
個人的に興味深かったのは、下記の図の通り、世界的な黒耀石の産地には偏りがあったということだ。やはり世界的な文明との関係も深いようだ。
特に、今に続く文明、つまり意識が芽生え、王が権力を持ち、そして農耕文化が世界に伝播していく、まさにその発信源たるシリアあたりの中東(肥沃な三角地帯)にも黒耀石産地が集中しているというところ。
縄文文化は、当時において世界最先端文明の一角であったという説があるが、これはこの黒耀石産地としての立地も、補強材料になるだろう。
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実際の採掘現場 星くそ館へ
展示を見終わり、続いて黒耀石の古里 和田峠に向かう予定だったが、なんとこのミュージアムの上にある「星くそ館」がオープンしていることが分かった。GWの半ばにオープンとのHPにはあったのだが、なんとか整備を早め開館中とのことである。
縄文人が実際に黒耀石を掘り出した跡が分かる貴重な史跡でもある。
これは運がいい!それでは、行きましょう、ということで、友人と意気投合し、この軽いハイキングに出かけた。このミュージアムから、徒歩で山道を2~30分行かなければたどり着けないのだ。
実は、今回の旅行では、二日目に諏訪大社のご神体山とも言われる守屋山(もりやさん)への登頂を予定していたため、一通りの準備はもっていたのだ。準備は万端。うきうきした気持ちで出かけた。
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ミュージアムでクマよけの鈴をレンタルし、山中の星くそ館へ向かう。気持ちの良い木立の中を歩いて行くと、途中でパラパラと黒曜石が散らばっているのが分かる。取り上げてみると、素人目には黒曜石と分からない質の低いものもあるが確かに黒曜石だ。
最初は探して見つかる程度だったが、上に行くにつれ、黒耀石の透明度が増し、気づけばそこら中に煌めく黒耀石が散らばっていた。
かつて和田峠から噴火した際に、地中のマグマが固まりガラス質の黒曜石が一面に降り注いだらしい。それらが堆積した場所がいくつかあるようで、その一つがこの星くそ峠だ。
縄文人はこの場所で黒曜石を掘り、そして川で洗い、そしておそらくは和田峠から下り、諏訪湖を経由して、各地に運んで行ったのであろう。
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星くそ館の周辺は縄文人の採掘跡が今も残る。わかりやすく銀色のピンが立っており、よく見るとそこは周りに比べてクレーター状に窪んでいる。
そういった採掘抗が百以上もある。星くそ館では、一度掘られた採掘坑が数千年後にまた掘られ、採掘された形跡があるとの解説があった。
古代人の営みがよくわかる、そういった場所だった。
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星くそ館は、無人だったが、はぎ取った地層が通路両側に高く貼られ、縄文人の土木工事の技術の高さがうかがい知れた。
また、この施設の素晴らしいところは、定時で流れるプロジェクションマッピングで、採掘の調査結果を簡単にまとめた解説が流れていた。ここを訪れた際は、ぜひ見ていただきたい。
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この星くそ館とその周辺で、十二分に黒耀石に触れることができたため、次の目的地である和田峠は、キャンセルすることにした。
中山道の和田宿の本陣だけは見ておこうと道を行くと、途中男女倉(おめくら)という場所を通りかかった。和田峠や星くそ峠で掘った黒耀石を洗ったと言われる、水の美しい場所だ。
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この後は、八ヶ岳山麓で見つかった縄文人の住居跡 北相木人が眠る栃原岩陰遺跡へと向かった。
続きはこちら。
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