擦れた銘板 THE GREATEST UNKNOWN 〜拝島駅北口彫刻の銘板について
Intermission. 擦れた銘板 倉澤實『四角柱上の胸像』の銘板について
拝島駅北口にあるこの現代彫刻、実はもう50年以上前に作られたものです。
その長い間に設置場所はこの駅前周辺エリア内で移設を重ね、ようやく現在の場所に落ちついた…というお話。
今回注目してほしいのは作品内容ではなく(すみません)、こちらの脚付きの銘板のこの状態。
…どうも素材に経年を感じませんか…?
…つまりこの銘板は
「平成3年度 復元改修後改めて設置」されているのです。
何故こんなところに注目しているかというと、私筆者は複数の人からこのように聞いたからなのです…
「その銘板、1971年(昭和46年)にはあったよ?」
*
登場人物紹介
さて、今回は拝島駅北口前の彫刻の話です。
この彫刻の作者・倉澤實(倉沢実)さんは、東京藝術大学彫刻科卒、同じく藝大(芸大)彫刻科卒の最上壽之(最上寿之)先生の一年先輩、卒業年は同期の彫刻家です。
これまでに連作としてNobさん(下田信夫画伯)と彫刻家最上壽之先生と横浜みなとみらいの彫刻について書いています。
今回はintermission、読み切りで1971年のお話です。
今回のストーリーの始まりは前回chapter3. で少し紹介した1971年、若き日のNobさんと最上先生の二人が米軍横田基地外柵で出会った時の場面から…
chapter3. より再掲↓ここ
この時のこと。二人は倉澤さんのこの彫刻を目にします。特にNobさんの方はその日横田へ行きの際にもここを通り、この彫刻(そして銘板)のことを気にかけています。
Nobさんは何故それを気にかけていたか…
当初この彫刻作品があった場所は現在の場所ではなく、駅北口から出てすぐ近くの玉川上水沿いで…
…そこに架かる新たに建設中の橋「平和橋」工事現場で、もともとあったこの彫刻が行き場を無くし持て余されその辺に放置、
なんと銘板は
そこらの地面に適当に敷かれた状態だった
からです…。
1971年の話をします。
Nobさんもよくぞ気付いたという話なのですが、工事の人も彫刻作品の方はともかくその銘板を大事なものだとは思わなかったのでしょう。
その時はただの金属板の扱いでした。
確かに無名の学生あがりの若手作家の作品ではあったのです…
…但し1971年当時はですが。
作者倉澤さん、芸大卒業後しばらく美術学部副手として大学に残った後、海外…メキシコの美術学校へ…そしてメキシコ国立の文化博物館に勤められている為(〜1971年)、芸大筋では知られているものの日本の世間的にはその時ほぼ知られていないのですよね…。
そしてここを通ったこの二人もほぼ無名の彫刻家とイラストレーター。
彼らも何者でもなかった'71年秋のことでした。
chapter3. より再掲↓
話を戻しましょう。横田外柵からの帰りにNobさんと最上先生、若きまだ無名の二人が玉川上水平和橋建設工事現場を通りかかり、足元にこの銘板を目にした、と。で、行きで気付いていたNobさんがさっき知り合った彫刻家に聞いてみたわけですね。
Nob「ねえ最上さんこれ、彫刻のも『銘板』でいいの?そうこれ気になってて。そこのあの彫刻の銘板みたいなんですよ。これ飛行機なんかだとね『銘板』ていうんだけど。昔の計器銘板やなんかがコレクターズアイテムになってて。
…ねえこれ大事なものなんじゃない?」
最「?うん彫刻も『銘板』と言うねぇ…作家名あるの?誰のだ…
おうこれ倉澤さんか!俺知ってる作家の作品だぞ!芸大出のれっきとした彫刻家だぞ。俺の1年先輩でな。卒業は同じになっちゃったんだけど。メキシコへ行くと言ってな…あのヘンリー・ムーアもかぶれたメキシコ芸術を本場で、と。…もう日本に戻ってるかな」
N「へえこれ、そのクラサワさんて芸大の人のなの?スゴイ!あの彫刻、鳥みたいでカッコイイと思ってた…!
なのにこれは…酷いよね。ほら銘板人踏んじゃうよ、ああ…
これ、工事の人に言ってちょっとよけといてもらおう!やっぱり大事なもんなんでしょう?」
最「まあ作家本人に訊くにも連絡つかなかったんだろう海外だから。俺連絡つくかな。もう戻ってるかもしれない」
N「その人芸大の先輩なの?海外だなんて!凄いじゃない…工事の人に芸大ですよって言っとこう!」
最「凄いんだけど現代彫刻っていうのはものだけではなかなか理解されないからな〜台座と銘板込みだよね。だけど余程の有名作家のネームバリューがなけりゃ、その大事な銘板すら世間じゃこの扱いだ…
チキショウ!俺、移動できない位デカい作品作ってやろうかな」
N「自分もサインNob.がNo.6と間違われちゃってね。版画や限定生産のなんかはエディションナンバー付けるでしょう、ああいう意味なのかな?って見えちゃったみたい。「ああ、6枚あるのかと思った…」なんて。同じの6枚描くほうが大変だっちゅうの!
…彫刻は…へぇ、型取り!そうかそういうのもあるんだー。
うん?いや、飛行機もあれ同じかっていうとまあ工業製品なんで同じに作ってるはずなんだけど…版画のエディションも、シリアルナンバーとも言いますね。飛行機だとレジ番(機番)。そう、個体別のナンバーあるんですよ。」
最「版画ってエディションナンバーで値段変わったりはしないのかな?初版本が高値ついてたりするけどなぁ…
俺たちも有名になってやろうぜ!!絵だって銀座の画廊じゃ額やサインで値段が決まる。彫刻だと台座が額で銘板がサインというわけだ。
…しかもこの銘板はよくよく読むと作家からの解説のようなのも載っているからな…ものとこれとセットで作品だよな。
しかし倉澤さんもなんか難解そうなこと書いてあるな〜(俺には今ひとつわからんが)価値は美術評論家に評価されてナンボだろう」
N「彫刻も台座や銘板というのは大事なんだね。…これカッコイイこと書いてあるねえ。
〈鑑賞者による像の復元の想像を期待する空間〉だって!なるほど4分の3はこっちが想像していいのね。
ものは4分の1かあ!へえカッコイイね。鳥じゃなくて4分の1だったんだ!
確かにものだけより、これも読んでものも見るほうが良さそうね。こういうのってオブジェ?なんて言うの?」
最「うーんオブジェっていうよりは…
『モニュメント』かなあ。ムーアのなんかはモニュメントって言うよね。評論家が。」
N「『モニュメント』!現代彫刻っていうのは呼び方もカッコイイんだねえ…!
作った人に言っといてくださいよこれカッコイイですね是非残しましょうって。」
最「うん俺倉澤さんに連絡とってみるわ。」
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その後日本に戻っていた倉澤さん本人に連絡がついた為か、作品撤去は回避されました。
駅北口周辺で何度か位置変えがあったかもしれませんが、現在はこの場所(駅前ロータリーファミマ前)でのびのびと展示されています。
地元ゆかりの作家さんの作品ということでもないわけなのですが…今となってはもうこれは倉澤さんもこの作品もここにご縁があったということで良いのではないでしょうか…。
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この件、新旧横田外柵の皆さん並びに福生市民、昭島市民の方々のご尽力ご協力を感じています。
この場を借りて Great Unknown たちへ敬愛と感謝の賛辞を…
ありがとうございました。
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連作はこれからchapter4. 〜chapter6. を予定しています。
次回はもうひとつ彫刻のお話を。