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chapter4.【後編】メロスの激怒 解説編
リアルって何だろなー…と思うんです
各々共感ポイントは様々で
同じ事を聞いても共感する人もしない人もいて
『Imagine』て1971年のヒット曲なんですね
(RCサクセションver. 忌野清志郎さんが訳すとこうなっていた)
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*
ノンフィクションです。
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登場人物紹介
最上(もがみ)先生 …最上壽之(もがみひさゆき)先生。彫刻家。↑横浜みなとみらいにある作品の作者。武蔵野美術大学彫刻科の教授をしていた 。 (1936生-2018没)
Nob(ノブ)さん …下田信夫(しもだのぶお)画伯。航空界隈ではとても有名なイラストレーター。
ヒコーキマニアの重鎮。 (1949生-2018没)
前回はこちら。
前回までのあらすじ
1971年、ひょんなことで知り合った彫刻家(最上先生)と若きイラストレーター(Nobさん)。
その2年後1973年秋、埼玉県入間(いるま)飛行場(入間基地)で開催されたエアショー『1973年第4回国際航空宇宙ショー』をNobさんの案内でNobさんの仲間らと共に見る。
この際にまたひょんなこと(実はNobさんの案)からインスピレーションを得た彫刻家先生は、彼らのモニュメント制作の依頼を受け、その後自作のマケット(縮小模型)を手に再びNobさんのもとを訪れる。
(更に↓chapter4.【前編】より再掲)
マケット
後日、最上先生は作品デザイン案を考えNobさんに伝えに来ました。「それはとても面白い、実現すると凄いぞ!という案なのだ!」と意気揚々に。
Nobさん宅へマケット(構想を提案する為の作品の素案。縮小模型)を持参するところまで行ったそうです。
そして最上先生は聞いたのです。
「ヨーヨー機動ってこれで合ってる?」
で、続き
*
chapter4.【後編】メロスの激怒 解説編
最「ヨーヨー機動ってこれで合ってる?」
……。
…Nobさんはそれは困ったでしょうね……
〈これ実際↑私筆者も聞かれてそりゃあ困ったよね (chapter1.)〉
…そしてNobさんの答えはこう。
N「うーんそれは現役の戦闘機パイロットの人に聞いてみないと正確には答えられないけれど……(それは無理だしそれ以前の問題でこの案は…没だ…どうにかならないかな…いや没だ。なんて言おう…。)」………
Nobさんは大変に正確性を希求する御仁です…。
★まずヨーヨー機動ってこれで合ってる?と聞かれて何故困ったか について解説します。
「yo-yo機動」というのは空戦機動の一種で、「High-yo-yo」(ハイ・ヨーヨー)「Low-yo-yo」(ロー・ヨーヨー)などと用いる用語です。
(1)当時はACE COMBAT等一般の人が触れられるシミュレータに相当し得るものがまだないので、そこ(この形がyo-yo機動か)を正確に知るのは
実機のパイロット経験者しかも戦闘機系のみ。正確性を重視すると空戦訓練に明け暮れている現役であることが望ましい。
…機密の問題が一つ。(最上先生詳しくないんだな〜)
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この時(1973年国際航空宇宙ショー)が初めて
(2)だがパイロットの体感だけではその機の動きがyo-yoか分からない。(彼らはyo-yoをしているつもりでも違うかもしれない。ごく稀だがバーティゴ(空間識失調)にだって陥ることがあるのだから。)
ショーの観客である彫刻家の観察力と想像力と空間把握能力に期待したがこれも今ひとつ正確性に欠けることが判明した。(ショーアクロと空戦機動は違うかもしれないが作り手の想像力でそこを乗り越えようとしたものであった。)
やはり実際の空戦機動を客観的に可視化し形にするにはその現役ジェット戦闘機にセンサーを付けてyo-yo機動をさせ精緻なフライトデータ(3D位置データ)を正確に取る必要がある。
…技術的な問題が一つ。(まだ'70年代だからね〜)
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(3)それに正直これをパイロット職種の人間に(少年航空兵の像にすら)見せるわけにはいかない。
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入間基地 修武台記念館の前庭にある銅像
「それは飛行機の動きに本当に詳しい者には墜落を想起させる」からだ。
パイロットに墜落を想起するものを見せつけるのか。心理的影響が懸念される。
…倫理的コンプライアンスの問題が一つ。(知らないにしたって…ちょっとね〜)
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横浜みなとみらいの作品前
★うち最も二人の溝が深く、没になった理由としても深刻であった
(3)倫理的コンプライアンスの問題 について掘り下げます。
「墜落」。Nobさんと最上先生、この二人、
墜落に対する感受性にかなりの(埋められない程の)差があったのです。
これが墜落を想起するものであるかどうかは意見の分かれるところです。
が、Nobさんや私のような感受性の人間もごく稀だが実際存在したことを考慮していただきたい。
…各々いろいろあって「墜落」に対するトラウマがあるのかもしれないのですが。(Nobさんが墜落に敏感になったきっかけの件はこの後chapter5で記します。)
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(私の方はepisode0. これでしたね↓)
(chapter3. 〜chapter4.【前編】で登場したNobさんの仲間は、「新宿駅で飛行機が墜ちるのを見た」と)
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急ごしらえの改札口のようす
『マッカーサーの見た焼跡 - フェーレイス・カラー写真集 東京・横浜1945年 - 』
(文藝春秋 刊)より
(で、↓こちらの話続けますね。)
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横浜みなとみらいの作品下
なお、これが墜落を想起するものと感じる感覚は以下の条件が合わさった時に発現するものと思われます。
・これが飛行機に関するものという情報、またはそれを類推させるキーワード
・形や動きから整合性(非整合性)を読み解く方向性の鑑賞力
(生来のものかもしれないが、環境により獲得出来る人もいる。学歴には全く依らない)
・墜落した場合の実際の惨憺を目前に想像できる程の関連の知識と想像力、または墜落に関連する実体験
・パイロットや機体への同調(自分も飛んでいるつもりで見ている)、
またはパイロットとしての実体験
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つまりパイロットの皆が皆「これ(みなとみらいの彫刻作品)を墜落を想起するものと感じる」わけではないのですが、パイロット他、空の世界を愛し関わる人たち(キャビンアテンダントや整備員も、そして好きで見ている私たちに至るまで)の中には「これ(みなとみらいの彫刻作品)を墜落を想起するものと感じる」人が世間一般よりも高確率でいるかもしれないということです。
(職業で関わる人たちは墜落の惨憺を知る安全教育をされることもありますし、そもそも実際に搭乗する人は危機感が違います。)
Nobさんはパイロットではないのですが(注・イラストレーターです)、上記のうち元々「・形や動きから整合性(非整合性)を読み解く方向性の鑑賞力」があり、
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↑『球形の音速機』下田信夫著(廣済堂出版)
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更にNobさんは、1973年の前年1972年に
「・墜落に関連する実体験」があり
「・パイロットや機体への同調」をより強くしてしまっています。
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また、この『モニュメント(仮)』は当初入間基地敷地内にある修武台の前庭に置く構想であったことも考慮が必要な点でした。
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Googleマップより
ここはわりと本当に詳しい人(パイロット含む)が多くは自発的に歴史的資料、史料を学びに訪れる場所です。
街中に置いて、飛行機に別に詳しくなくても良い一般市民に親しんでもらう場合(例えば横浜みなとみらい駅前)とは、
予想される観客層も
それを置く趣旨も違う ことは制作者として当然理解しておかなければならなかった点でしょう。
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(↓ chapter1. より再掲 みなとみらいの作品についての筆者の感想(学生時代の回想))
だが飛行機の動きというには…(作品としては賑やかで良いのだろうけど)…とっ散らかっていて強引だ……
これでは「建った」としても「飛ばない」つまりそれは飛行機の動きに本当に詳しい者には墜落を想起させる。ポン!と地面から出てギュンギュンあっちこっちクルクル回ってストン!と…墜落…。
出来上がった形が「飛ぶ」より
「跳ねる/射る/打つ/突く/制御不能」
のイメージを感じるものになってしまっています。
……それはそう。これは最上先生が1973年第4回国際航空宇宙ショーこの時初めてジェットでのフルのショーアクロをショーセンターのエリアでしかも目前に見た、その
わけわかんないけどスゲー!
なのですから…。
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ベストポジション!
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と 彫刻の作家ご本人が言っていた
(最上先生ご本人は横須賀海軍航空隊のお話をされていましたが、これはあまりにも曖昧かつぼんやりとしたイメージで1973年の鮮烈さには程遠く1973年時の体験による印象に払拭されていますので、割愛します。)
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アバウトに引いたラインの「スリリング」は
我々には「=墜落の恐怖」です。
★ヨーヨー(タイトル)について
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さて「飛行機の機動をスモークで表現し形にする」という構想がアイデアとして上がった際に、Nobさんと仲間は
〈飛行機の動きの基本は「ロール・ピッチ・ヨー」の3つの動きである〉
ことを最上先生に話したでしょう。最上先生は初心者なので。
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Watako-Lab.さんの解説ページ より
ロボ動かしたりドローン飛ばす人は
とても必要
そしてあまり難しく思わないようにとこんな会話もあったかもしれません。
N・仲「そういえばヨーヨーっていうのも機動にあるよね」
最(…語感が楽しげで良さそうだし、空戦機動だなんて格好良さそう。)
…それが出発点だったのではないでしょうか。
そして結果、市民から愛される公共彫刻として斬新でかつ楽しいダイナミックな作品が出来上がったのです……。
yo-yo
ヨーヨー機動ってこれで合ってる?問題については、ACE COMBATをやるような人たちに聞いてみたことがある。
答えは
「多分…間違ってはないんだろうけど……yo-yoあんまり使わないよね。Highは使うか?絶対使わないって程じゃないんだけど。特にLowはね…ほぼ使う場面がない。俺は使ったことないな。それに俺らもyo-yoやろうとしてやることじゃないしね。あと彫刻見るのが専門じゃないからそっちが自信ない。」
恐らくファイターパイロットに聞いても同様の答えが返ってきそうである。
★(2)のyo-yoを再現する技術的な問題について
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✈︎Race Director Update✈︎
— AIR RACE X (@airrace_x) October 8, 2024
There are 6 Edge 540’s V3 and 2 MXS aircraft racing in this series. These are aircraft highly modified specifically for racing. As the last race was a year ago. All these aircraft have recently undergone the required annual maintenance, with several… pic.twitter.com/PS6cHPSuV2
飛ぶ実機にセンサーを付けて精緻なフライトデータ(3D位置データ)を正確に取り形にするという技術面では、現在「AIR RACE X」にその可能性を見ることが出来ます。レース用飛行機で究極の技とスピードを競い合うあのエアレースがデジタル技術を引っ提げて帰ってきた!実際に各飛行場で実機がフライトしそのデータを重ねて競うものです。
ARやYouTube配信で各レース毎にレースデータを各機の機動(軌道)で可視化し、画面上で複数機重ねたその航跡を観客が楽しめます。
それは美しいものですよ。
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プロモーション用の短いティザー動画やアーカイブ放送も無料で見られるので、ご興味ある方は是非「AIR RACE X」公式YouTubeチャンネルチェックを。
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来期も楽しみ!目指せリアルラウンド開催!
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★「モニュメント(仮)」に当初想定された予算規模 について
予算に対する感覚の相違も二人のすれ違いに拍車をかけました。最上先生は大変大らかな人物です。
(↓chapter4.【前編】より再掲)
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国家予算で自分の作品を作るチャンスだと思った
(誤解)
無理です。
〈最近はよくx等で自衛隊という組織内における現場への予算感覚の実態が話題になり、世間に知られるように〉
諸事情で無理なのでこの業界、何周年記念を良い機会と捉えて(≒記念して)ささやかにカンパで実現させていく例が昔から非常に多いのです。(現在だと一般でもクラウドファンディングという方法がよく使われるようになりましたね。)
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さすがにこれは予算取ったような話で聞いている
つまりそれは結構珍しい例だから話が伝わるのでは
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でも
(↓chapter4.【前編】より再掲)
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報国号献納式の様子
(行ったことはないと言っていた)
一般市民や企業がカンパで軍用飛行機を献納
することが大規模に盛り上がる時代が…
戦間期〜戦中あったんですね…。(初めて知った)
NPO法人零戦の会公式サイト
資料集5 報国号命名式 より
画像お借りしました
加えて最上先生が初めて空自基地内に入ったのが航空祭ではなく航空宇宙ショーだったのも誤解の原因となってしまいました。雰囲気…というより予算規模が……全く違う…。
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参加8か国119団体 飛行演技のべ421機
航空祭の比ではない国際的ビッグイベント!
NASAも協力!
(写真は『ヒコーキ・爆音と写真』-1973国際航空宇宙ショーから- より)
この雰囲気で「一機◯◯億円ですよ!」のように言われると初めての人には誤解を招く場合もあったのかもしれません。これを読んでいるかもしれない詳しい人、ちょっとだけ気をつけてね。
つまり先生は『モニュメント(仮)』に使える予算規模を完全に誤解していたのでした。
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どのくらいの大きさかというと
↓これと同じくらい
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*
さて話を戻しましょう。
最上先生は作品デザイン案を考え「それはとても面白い、実現すると凄いぞ!という案なのだ!」と意気揚々に、Nobさんに伝えに来ました。
ですがこの「モニュメント(仮)」マケットが
・依頼された企画意図(『機体の慰霊碑』)に沿い、また
・予算規模(有志による募金)も
・注文者の想い(航空関係者の安全を祈念し、離陸した航空機と搭乗員の無事の帰還を願う)も考慮された、
誰もが納得するきれいな仕事であったかどうか?…答えは否です。
しかし最上先生はこれを見せに来てこう聞きました。
「ヨーヨー機動ってこれで合ってる?」
Nobさんは「これではだめだ」と言いました。しかし最上先生は、めったに拒否をしないNobさんが何故折角自分が形にして持ってきた作品案を否定したのかよくわからず、理由を聞いてはみたもののいまいち納得がいかなかったようでした。
(理由は今回まるっと説明した全上記のとおりです。)
誰かに(生きてくれ)と思ったことはあるか誰かに(どうか死んでくれるな)と思ったことはあるか
誰か自分以外の他者の無事を本当に直感的に願った瞬間があるか
最上先生はなかったのかもしれません。
あるいはあったとしてもそれとこれとは直結しないと考えた。最上先生は大変楽観的な人物です。
共感してはもらえませんでした。
この没になった作品案は、後に入間ではなく他の場所で実現しました。
それが横浜のあの作品です。
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上から見るとマケット感ありますね
この時持参したマケットから横浜のコンペに出し本作品を制作設置するまでに、垂直な支柱の部分を4本→6本にしたそう。更ににぎやかで衝突しがちになりましたね。
(注・横浜のコンペ…1986年に日本丸メモリアルパーク(横浜市)で開催された
「みなとみらい21彫刻展 ヨコハマビエンナーレ’86」。
この時の作品タイトルは
『タイヤヒラメノマイオドリ』。優秀賞受賞。)
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最上先生はタイトルに「ヨーヨー」を残しました。
そうすれば、どこかの航空マニアを通じてきっとNobさんに伝わる。そう思ったのでしょう。
…実現すると凄いのが実現したんだぞ!とNobさんにだけは是非お知らせしたかったのではないでしょうか。
(これは最上先生もNobさんファンの1人だったのか…と筆者は思うことにしています。)
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*
想像してごらん
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「『Imagine』て1971年のヒット曲なんだな」
そう言ったのは、かの「おじさん」だ
(↓私筆者とNobさんの縁を繋いだ人物)
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ラジオでそれを知ったおいちゃんは
和訳を簡単に検索できる時代じゃなかったけれど
レコードかカセットテープに訳が付いていたろうか
自分でも辞書も引いてみたようだった
『想像してごらん』
想像してもらえなかったことを理解しながら
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「俺ぁな、大学の先生だ何だって
そんなのは関係ねえと思うんだ!」
そして子供の私は
Nobさんと「機体の慰霊碑」の話を聞いた
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(→chapter5. へ続く)
*
次回chapter5. はいよいよ1972年。
その後長らくヒコーキ好きの間で語られることになった、とあるNobさん伝説のお話を。