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【詩の感想】黒

『黒』 イケムラレイコ

無の色
暖かい無限の色
もっともひとりであることの色
 


この詩は、静寂のなか
一音ずつピアノで奏でられているような詩だなぁと
思いました。

それは、「色」という韻が
心地よい拍子となり
目に、耳に、残るだけでなく、

段々と増える言葉数が
音階のように感じられるから。

このような言葉の奥行きにみる
詩の佇(たたず)まいに、

詩が言語芸術と言われるゆえんを
感じます。

また、「無」と「色」のように
言葉にすれば矛盾するものが、
何の矛盾もなく収まっている姿に、

矛盾だと思えるものに通底している
「秘密」を感じます。

その秘密とは、「黒イコール無」といった
一般的なイメージではなく、
もっと根本的でシンプルなもの。

矛盾を超越したもの、とも言えるかもしれません。

矛盾を超越すると、
物事を区別(分断)、ジャッジすることもなくなります。

ここで、私たちの日常に目を向けてみると、
私たちは日頃から、様々な区別やジャッジに
晒されています。

おそらく、そこで感じるのは
厳しさや辛さ、あるいは悲しさではないでしょうか。

一方で、そういった区別やジャッジがなくなったとしたら。
暖かさや無限性を想像できます。

そこには相反するものがないので、
絶対的な固定点がひとつ
あるのみ。

そのことを
「もっともひとりであることの色」から感じますし、
真美を示唆しているようにも感じます。

と言うのも、
私たちが普段みている世界は
主観か客観のいずれかに分かれます。

でも、美だけは唯一、
主観的であり客観的である。

つまり、主客を越えたものと言えます。

なので、「もっともひとりであることの色」が
示す絶対的固定点は、
真美と捉えることができるのです。

一方で、この固定点は
別の捉え方もできるかなと思います。

たとえば、
自ら自身に対してする区別やジャッジ、
あるいは社会から受ける区別やジャッジ。

それらを捨てた先に残る「自分」という固定点。

このときの「自分」とは、
私欲や我欲に支配された自分ですらもなく、
真(まこと)の自分。

そう捉えると、
この詩を通して考えられるのは、
「真の自分として、自分はどう生きるのか」

そんなことにも考えを廻らしてみたり。

たった三行の詩。
だからこそ、読み手の自由な解釈に委ねられる
部分が多い。

あれやこれやと考えを廻らせるのは
愉しいなー。

でも、考えるだけでは妄想の域。
しっかり実践していこうと
改めて思いました。

まずは、水を飲もっと。

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