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自分軸だけど人のために動いてきたのでLife Historyでこれからを整理してみようと思う。
無意識につけた屋号(思いつかなかったから)もいま考えると、自分の考えていることが深層心理で出てた名まえになっていて、無意識にやってきたことを言語化することで、今後どう生きていこうか見えてくるかなーとまとめてみることにする。
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① トラウマでのままでは整理できない
いままで何度か、自分の感情の整理のために、まとめようと思ったことがあり、面白おかしく書いてみたり、途中までトラウマと向き合ってみたりしたのだけど、どれも途中でしんどくなって辞めてしまっていました。
まだ過去になっていないから、明確にするとしんどいということに気付かない荒療治をしようとしていたのかもしれません。
いま、なにが違うかっていうと、きっと未来指向だから、な気がします。
これからどう進む?に過去を整理して活かしたい、という想いになっているから書いてみようと思ったのかもしれません。
② FBの知り合いが書いていて自分も書いてみたくなった
FBでお知り合いになった方が、ライフヒストリーを書いていて、もともとは自分語りするのあまり好きではないのですが、ちょっと書いてみたくなりました。
事業をするにも、事業の内容も過去の経験がベースになっているから、これから先の仕事をすすめるうえでも、何がどの想いに繋がっているか、人に語れるようになっておく必要があるのではにないか、と思ったのもひとつの理由。
自分では漠然とは思ってても、人には言語化とかしないと伝わらないし、屋号のときのように、深層心理にまだ何か隠れているかもしれないので。
③ こどもが成人するタイミングでそろそろ自分中心に考える時期がきた
別に自己啓発にお金をかけたり、スピリチュアルに傾倒したり、どこかのカリスマ起業家の講座に心酔するとかしていないから、他人軸と自分軸でいえば、そんなに他人軸がどうこうと心配するほどの日々は送ってきていない。
が、現実問題として自分以外の家族を中心にした生活を送ってきてはいる。
単に優先度の問題だが、それはそれで長くやっていると、そっちが通常担っているから楽というのもある。
自分以外の困りごとや望みのために「モチベート」すればよいから。
自分にあんまり欲がないのか、それとも周りとの均衡を考えて欲が引っ込んでいるのか、
「さぁ自分何する?」
ってなったとき、困ってしまうところもある。
できない最中は、あーしたいこーしたいが思いつくのに、できる時期が近づくと思いつかない。
ライフヒストリーを記そうと思ったきっかけにも繋がるのだけど、「やりたい」ということより、
やりたくないと思うことをもうやりたくない
という想いが一番強いのかもしれないと思っていて。
本来ならすっぱり切りたい縁を、家庭のバランスや社会との影響を考えて抑えてきたとか、社会からドロップアウトした層への偏見とか、そういうの普通じゃない?と言われるかもしれないけれど、これがワンオペ、ノーヘルプのなかで対応可能な範囲を溢れるくらいには多すぎた。
もともとできないことが多いのだ。
パニックだから、○○へ出張ね、とか言われたらもう選択肢からはずさなきゃだし、立場が弱いから、力の強い立場(医療関係とか学校とか)に意見するのも見捨てられ覚悟でいかなければならない(家族が理不尽な対応されてたとしても)。
弱い、できない、って、
結構「持てるもの」から無意識にふんづけられるのだ。
だから、「なにかやりたい」というより、
ふんづけるような相手に自分の時間を使いたくない
というのが今の一番の「欲」な気がする。
それと同じく、事業や仕事にすることも、どういう人たちにどうなってほしいか、って明確にしてみることで、これからの進み方がみえてくるんじゃないかなと思っています。